鈴木、田中、福田、加藤、鳩山。この名字に共通することは? 答えは総理大臣が二人いることでした。このうち加藤首相は二人とも大正時代に活躍した。平成時代に“加藤の乱”をおこした加藤氏は、やがて首相になると誰もが思った実力派だった。今、自民党で総務会長をしている加藤氏は「ポスト安倍」だとも噂されている。加藤姓三人目の首相実現成るか。
本日は、一番手で登場した加藤友三郎首相をレポートする。以前の記事「国際協調のともし火」で青山霊園にあるお墓をレポートしたことがあるが、今日は生誕の地、広島を訪ねることとしよう。
石の枠がある。ユニークなモニュメントに見えるが、「銅像建設由来碑」と刻まれている。銅像はどこにあるのだろうか。
広島市南区比治山公園に「加藤友三郎銅像台座」がある。「元帥海軍大将大勲位子爵加藤友三郎」と刻まれているが、銅像はない。
台座の上には大礼服姿の堂々たる銅像が立ち、石枠の中には彼の事績を記した銅版があったが、戦時中の金属供出により失われてしまった。
記録によれば、碑文には次のような一節があった。
今ヤ元帥逝(ユ)イテ十二年複(マ)タ国際ノ変局ニ遇ヒ轉(ウタ)タ偉人ノ再現ヲ憶(オモ)フ
元帥加藤友三郎が亡くなって12年を経て、国際情勢は世界恐慌を機に激変した。いよいよ加藤元帥のような偉人の登場が期待されている。鋭い指摘である。
事実、昭和9年12月29日、我が国はワシントン海軍軍縮条約の破棄をアメリカ合衆国に通告した。その後の歴史を思えば、踏みとどまるべき一線であった。
銅像建立の意義について、加藤友三郎銅像復元委員会の説明板は次のように語っている。
大正十年ワシントンで開催された「海軍軍縮会議」にわが国の首席全権として出席し、米英の提案による海軍軍縮案に対して、わが国の軍国政策による諸外国との軋轢を取り除き国際協調による世界平和のために、軍部の強い反対を押し切ってその提案を承諾したのです。
大正十一年六月、軍縮推進の最適任者として推挙され第二十一代の内閣総理大臣に就任し、海軍の軍縮のみならずシベリアへの陸軍派兵を引き揚げたほか、軍事費の増強で破綻寸前となっていたわが国財政の立て直しに尽力し、文教民生面の充実に配慮した政策をすすめたのであります。しかし、総理大臣在任中に病に倒れ大正十二年八月に逝去しました。
昭和九年、当時のわが国の置かれている国際的な立場は、軍部の政治介入への強化、中国への進出、国際連盟の脱退などで孤立化の傾向にあり、加藤友三郎がすすめた各国との協調による平和の推進に離反した方向にすすみつつあったのです。このような不穏な情勢の中で、今一度加藤友三郎の意思を天下に周知させるために、広島財界有志の発起で銅像の建立が企図され、内外から大勢の協賛を得て、昭和十年十一月にその完成をみたのであります。
1930年代の世界に必要だったのは、第一次世界大戦後の基調精神、国際協調であった。加藤の英断で締結された海軍軍縮条約が反故になろうかとする、まさにその時に、彼の銅像は建立されたのである。
さて平成20年、加藤友三郎銅像復元委員会は銅像の復元を実現した。
広島市中区基町の中央公園に「加藤友三郎像」がある。
新しい像は、大礼服からフロックコートに着替えていた。そりゃそうだろう。第21代内閣総理大臣として位人臣を極めたことよりも、首席全権としてワシントン海軍軍縮条約を締結したことのほうが、今日的には意義深い。
広島市中区大手町三丁目の大手町第二公園に「加藤友三郎生誕の地」がある。
説明板は近年設置されたものだが、記念碑は意外に古く、昭和5年8月に建てられた。碑には「華府第一回平和会議首席全権 先内閣総理大臣元帥海軍大将正二位大勲位功二級子爵加藤友三郎閣下生誕之地」と刻まれ、加藤を名誉で飾っている。
ワシントン会議首席全権としての役割は、当時から高く評価されていたのであろう。外交交渉には胆力が必要だ。加藤がその胆力と知恵で交渉をまとめたことで、我が国は大戦後の国際社会において名誉ある地位を占めることができた。
昔も今も我が国の外交姿勢の基調は、法と正義である。韓国の元徴用工への補償問題において政府は、日韓請求権協定により解決済みだと主張している。双方が合意のうえ締結した「法」に基づく主張である。根拠のない主張はしない。それが「正義」というものだ。
日露の北方領土交渉はどうだろうか。安倍首相は今、「日本固有の領土」「ロシアの不法占拠」という文言を封印している。今月7日に開かれた返還要求全国大会では、首相の意向に忖度してソフトな大会アピールを採択した。法と正義に基づく主張をかなぐり捨てて、これほどまでにロシアにへつらっているにもかかわらず、期待される回答は何一つ得られていない。プーチン大統領を首相地元の温泉地で歓待したにもかかわらず、である。まさに屈辱外交そのものではないか。
ワシントン会議において加藤全権は、主力艦の対米比率で妥協を余儀なくされたが、フィリピンやグアムにおける軍事基地の強化を阻止するなど、我が国の誇りも守ったのである。四島のうち大きな二島を捨てるという安倍首相の英断で、小さな二島を得られるのか。トランプ大統領をノーベル平和賞に推薦するという離れ業で、拉致問題が解決するのか。
まさか、アメリカにもロシアにも迎合する国として国際的な信用を失うなんてことは、ないと信じたい。日本外交は岐路に立っている。
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