うちにはブロック塀があるが、無味乾燥で倒壊しても困るので生垣にしたい。とはいえ、金はかかるし手入れは要るし、やはり生垣も面倒だ。よそんちの生垣が端正に整えられているのを見ると、つくづく感心する。本日は江戸時代から残る生垣の紹介である。
愛西市佐屋町亥新田に「きこくの生垣」がある。
一見して美しい生垣だと分かるが、どのくらい古いかは想像できない。愛西市教育委員会による説明板を読んでみよう。
江戸時代このあたりは佐屋宿舟番所前で旅籠(近江屋)があった。
現在このブロック塀上に見える「きこくの生垣」は、尾張藩士小田切春江によって天保年間に発刊された『尾張名所図会』にも描かれており、当時の姿を今に伝える貴重なものである。
キコク(枳穀)
カラタチの別名。中国原産のミカン科の植物で、揚子江沿岸地域に自生しており、わが国への渡来は今から1000年前といわれる。
果実の香りがよい所から庭木として鑑賞され、また生垣用として利用された。
『尾張名所図会』の絵とは、巻之七海東郡「佐屋川」の項の挿絵である。この絵は現地の説明板に掲載されているから、眼前の景色と見比べると面白い。
愛西市佐屋町宅地に尾張藩が置いた「佐屋代官所址」がある。市指定の史跡である。
説明文を刻んだ石碑には、次のように記されている。
海東海西郡中の百九ヵ村七万四千石余の主邑として民政と治安の大任を司どりつつ明治廃駅迠寛永文久と二度の将軍の上洛と明治帝の東幸還幸再幸と三度の大任をも果した。
佐屋はこの地域の中心都市だったのだ。絵図では確かに生垣の真向かいに代官所がある。川も船着場もなくなるなど、あたりが劇的に変化している中で、この生垣だけが往時のままなのである。天保の名所は、間もなく来る平成の次の時代にも、名所として伝えられていくだろう。
カラタチには鋭い棘があって、侵入防止に大いに役立っている。ミカン科だから果実がなるが、食用には適さないとのこと。ネットで調べると果実酒にしたり、香りを楽しんだりしている方がいらっしゃるから、けっこう実用的な植物のようだ。
近年のバイオテクノロジーの発達は、オレンジとカラタチの細胞融合による雑種を生み出した。その名は「オレタチ」。なんか青春ドラマのようでいいぞ。やはり恋と同じように甘酸っぱいのか。しかし、インパクトある名称の割には普及していないから、オレタチに「明日はない」のかもしれない。
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