参議院選挙が始まった。憲法改正や消費税増税が争点のようだが、無関心やあきらめムードで、それほど関心が高まっていないように思える。お上から授けられた18歳選挙権も活用されているとは言い難い。そりゃそうだ。欲しいなんて一言も言ってないんだから。
むかしむかしのことじゃ。自由と権利は政府から勝ち取るものじゃった。自分たちの代表を選ぶ権利を求めてあっちこっちで運動が巻き起こり、国会をつくることをついに政府に認めさせたんじゃ。むかしは一部の者が自分に都合よく政治をしていたからのう。ん?今は一部どころか、アベ一強じゃと?。ならば今こそ、自由民権運動じゃ!
津山市二宮に「立石家」がある。江戸時代には大庄屋を務めていたことから、その屋敷地は広大である。門前の梅林を進んでみると…。
門前に遮断機のない踏切がある。「立石踏切」である。屋敷地をJR姫新線が通過しているのだ。
立石家は法然上人の生まれた漆間(うるま)家の本家筋と言い伝えられているが、本日紹介したいのは、美作を代表する豪農民権家、立石岐(たていしちまた)である。国会開設運動に奔走し、衆議院議員として活躍した。
ただし岐の生まれは立石家ではない。備中船穂の小野家に生まれ19歳で立石家の養子となった。まもなく明治維新を迎え、殖産興業の必要を感じた岐は蚕糸業を地場産業に成長させる。現在二宮に津山グンゼという繊維加工会社があるが、大正六年にこの地に新設された製糸工場が発祥である。
民権家としては明治12年、岡山県内の同志とともに両備作三国親睦会を結成し、国会開設運動をすすめた。同14年に国会開設の勅諭が出されると全国で政党結成が相次ぎ、15年には美作自由党が発足する。
そして明治23年、我が国初の衆議院議員選挙が実施され、岡山6区(美作西部)から立石岐が当選した。24年の第二回帝国議会で政府が提出した「鉄道公債法案」について、次のように問いただしている。
この第一条の末項について質問いたしたい。末項に鉄道に要する軍用停車場というものが設計になっておりますが、この説明を見ますと、その工事の費用というものは四十万五千円を要すとあります。このことは私どもがちょうど考えてみますると、はなはだ不必要なものでーー不必要ではありませぬ、不経済のもので、また国家に不親切なる設計ではないかと考えます。軍事上にはこういう停車場も必要であろうと思いますけれども、およそ戦争は幾年を期してあることか分からぬことである。しかるにこれにこれだけの金をかけて、東京なり名古屋なり大阪なりその他兵営のある場所というところは、いずれも都会の地にして、この土地はずいぶん貴重な土地である。有要な土地であるから、金を費やしておかねばならぬということであるが、私どもの考えにおいては、もしも一朝事ある時は、かようなものは即ち工兵をして直ちに造ることができるから、平生にこれを備えおくは、はなはだ不経済であると考える。しかしながらこれは実際戦争というものは、幾年を期してあるか分からぬことで、あるいは三年五年の間に大演習などがある場合にも、必要であるとするも、これもまたその時に造ればよろしい。その間は元のごとくにしておけばよろしい。それぞれ軍事に使用するものを造っておかないでも、差し支えないと存じます。私どもはこれを平生備えておくことは、はなはだ不経済であると信ずるのでありますが、政府においては別に我々の思慮の及ばざる必要の事があるのでありますか。この主意を承りたい。
鉄道における軍事施設は不要ではないかもしれないが不急であることは確かだ。税金の無駄遣いではないかと政府を追及したのである。これぞ国会議員の役割である。結局この法案は有名な蛮勇演説のあおりによる衆議院解散のため廃案となったが、25年には鉄道網整備の基本法である鉄道敷設法が制定され、鉄道建設の機運が急速に高まっていく。
立石岐は中国鉄道株式会社設立に協力し、31年に現在の津山線の開業に貢献した。大正10年からの作備線(現在の姫新線)工事に際しては屋敷地を提供し、門前を汽車が通過する今の風景が出現した。こういうのは「我田引鉄」と言わない。
名望家として地域に貢献し、議員として国の予算執行を監視した立石岐。現今の政治的無関心をどう見るのだろうか。この小文を読んだ人が投票所へ足を運んでくれることを心から願うものである。
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