韓流歌手のNHK紅白出場さえ危ぶまれるようになった。今日の日韓対立はすべて、文在寅(ムン・ジェイン)政権の無能のせいだと、ファナティックな日本ファースト主義者が叫んでいる。我が国は韓国に「100%あなたが悪い!」と言ったわけだが、この後、どうするつもりだろうか。振り上げたこぶしを下すところはあるのか。まさか、「最大限の圧力を」から「無条件の対話を」へ豹変した対北朝鮮政策のように、一転して過去を水に流すのだろうか。
安倍政権が文政権を見下すような態度をとれば、国民感情から韓国に対するリスペクトが失われてゆく。政策の急な変更はあっても、高ぶった感情は簡単に変わらない。もしかすると今の我が国の世論は第二の征韓論へと突き進んでいるのかもしれない。明治の征韓論の際に李氏朝鮮を「非礼」だとか「無礼」だとか非難したが、今回も同様に「非礼」「無礼」と韓国の非を責めている。まさに令和の征韓論である。
GSOMIA破棄に対する韓国世論は二分されているという。保守系の人々は「誤った判断だ」と、日本に味方するような言動をしている。それ見たことかと喜ぶ声が我が国にはあるが、もっと冷静になるべきだろう。是非を論議する健全な世論が存在しているということだ。
我が国はどうだろうか。韓国叩きばかりが目立ち、我が国の姿勢や過去の経緯を省みようとする人は少ない。石破さんや鳩山さんの主張のように、植民地支配の責任に正面から向き合ってこなかったことに原因があるのは確かだが、「何言ってんの?」と軽く扱われている。
日韓関係で重要な「日韓併合条約」も「日韓請求権協定」も、締結に至るまでの過程を別とすれば、国と国とが結んだ正式な約束である。しかし、併合条約を結んだ大日本帝国は今は存在せず、民主的な日本国に生まれ変わっている。だから今の我が国は併合条約を無効としているのだ。同様に、請求権協定を結んだ朴正煕の独裁政権は今は存在せず、民主政権に生まれ変わっている。だから、今の韓国は請求権協定に疑義を投げかけているのだ。過去を直視し分かり合おうという姿勢を見せなくては、日韓友好の糸口は見つからない。
明治の征韓論にも反対論者はいた。その筆頭、大久保利通は平和を愛していたわけではない。時期尚早と主張したまでだ。西郷が政府を去ったのちに、台湾や朝鮮に派兵が行われ、征韓論は実現したかのようにさえ見える。しかし私は、理を尽くして征韓の不可なることを説いた外交官がいたことに注目したい。そして今こそ再評価すべきと訴えるべく、彼の出身地を緊急取材したのでレポートする。
岡山市北区建部町福渡の妙福寺の墓地に「吉岡有隣の墓」と「吉岡寛齋の墓」がある。本堂の裏、奥の高いところにある。
写真右が吉岡有隣の墓で「吉岡有隣翁墓」と刻まれている。左は吉岡寛齋の墓で「良診院寛齋日治居士」という法名が刻まれている。有隣は父、寛齋は長男で、二人とも蘭学を学んだお医者さまである。真ん中は有隣の妻「登和」の墓である。
吉岡有隣の師匠は、石坂桑亀(いしざかそうき)という華岡青洲やシーボルトに学んだ蘭方医であった。有隣自身も長崎へ遊学している。墓碑には「救ふてふ御船にいりし今の身に世の浪かぜ我にものかわ」という辞世も刻まれている。医学だけでなくキリスト教布教においても人々を救おうとした信念の人であった。
吉岡寛齋の師匠は、石坂堅壮(いしざかけんそう)という桑亀の養子で肝臓ジストマを発見した蘭方医であった。寛齋自身も江戸に遊学し大槻俊斎に学んでいる。故郷福渡で開業し、その名声は近隣に広まった。法名に含まれる「診」「治」の文字が寛齋の生きざまを表しているかのようだ。
実は本日の主人公はこの二人ではなく、有隣の三男で寛齋の弟にあたる吉岡弘毅(よしおかこうき)である。彼の没地は故郷ではないので、墓は別の場所にあるのだろう。兄は医学を学んだが、弘毅は尊攘派志士として活動を開始し、新政府成立後は役人に取り立てられた。明治三年から出仕した外務省では、外務権少丞に任じられ朝鮮との国交交渉に当たった。
この頃の外務省はトップから卿、大輔、少輔、大丞、権大丞、少丞、権少丞だったから、それほどの高官ではなかったが、国を代表して派遣されるくらい有能だったのだろう。吉岡が朝鮮に滞在したのは、明治三年十一月から1年7か月ほどで、帰国後の明治五年六月に依願退職している。
明治六年には西郷隆盛を中心に征韓論が盛り上がったものの、欧米視察から帰国した大久保利通が強硬に反対し、怒った西郷は下野してしまう。こうした状況を受け、吉岡弘毅は明治七年二月に太政官に意見書を提出した。ここで吉岡は、西郷を再び政府に戻すよう訴える。それは「其人材ヲ惜ムノミニシテ其持論ヲ取ルニハアラズ」と言う。
征韓論のどこに問題があるのか。吉岡は次のように指摘する。建議「教法自由、告諭処設置、征韓不可、民選小議院設置等ノ議」『明治建白書集成』第三巻(筑摩書房)より
是レ我国ヲ軽侮スルニアラスシテ我国ヲ疑懼(ぎく)スルノミ我ヲ疑懼シテ回答ヲ緩ニスルトモ未タ彼ヲ伐ツヘキノ名義アルヲ見ズ兵名無シテ能ク成功ヲ全スルモノハ未タコレ有サルナリ
朝鮮が国交交渉に応じようとしないのは、我が国を見下しているからではなく、我が国の姿勢を疑い不安を抱いているだけだ。不信感によって回答を遅延させているからと言って、朝鮮に戦争をしかける理由にはならない。大義名分のない戦争で成功したものはないのである。
吉岡は朝鮮が日本に不信を抱く理由を三つ指摘する。第一に秀吉の朝鮮侵略、第二にこれまで交渉を担っていた宗氏の横暴、第三に国書に含まれる「皇勅」の文字。この文字に属国化の意図を感じ恐れていると言う。現場経験の豊かな外交官ならではの肌感覚といえよう。「非礼」だとか「無礼」だとか100%相手が悪いと非難するのではなく、相手が動かない原因を冷静に分析している。
そして、日本も我が身を振り返れ、と次のように指摘している。
彼只遷延隣交ヲ新ニスルヲ諾セサルノミニシテコレヲ伐ツノ理アラバ前年我鎖国ノ時二当リ外国人ノ其志ヲ得サルモノ競テ我ヲ侵伐セバ我レ以テ彼直ニシテ我曲ナリトスルヤ己カ所不欲コレヲ人二施スコト勿レ豈(あに)彼ガ国小ニ兵弱ナルヲ侮リ妄(みだり)ニ非理ヲ行フヘケンヤ是レ大人ノ自ラ其強キヲ恃ミ童子ノ臂(ひじ)ヲ戻(=捩よじ)ラシテ其食ヲ奪フニ類スルコトナカランヤ故二是レ無名ノ兵ナリ
朝鮮は新たな国交交渉を引き延ばしているだけであって、これが戦争をしかける理由となるなら、我が国の鎖国時代に次々と外国船が脅かしてきたが、その外国は正しく、我が国は間違っていたということにならないか。己の欲せざるところ人に施すことなかれ、という。小さな国だから武力が弱いからといって、どうして分別なく道理に合わないことができようか。これは、大人が強いからと子どもの手をねじ上げ食べ物を奪うことと同じではないか。だから征韓論には大義名分はないのである。
相手を理解しようとし、自らをも省みる。よりよい関係を築こうとするなら、吉岡のような姿勢が必要だろう。G7のビアリッツ・サミットでは、首脳宣言が見送られたという。世界各国で分断が進んでいる。
『論語』は「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」のほかに、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と説いている。これに照らすとG7のメンバーには、どうやら小人がいるようだ。それが日米英の首脳でないことを願うばかりである。
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