下を向いて歩こう。個性的なマンホールの蓋を見つけようと、うなだれた姿で歩く「マンホーラー」が急増している。カメラを真下に向けて撮影する「蓋女」はあたりを気にしている。道路上での撮影は交通安全が必須だ。デザイン性の高い蓋をとおして、お上の下水道行政に理解を示す下々の者を「ゲスイダー」というそうだ。さあ今日も、下を向いて歩こう。
鳥取県八頭郡に郡家町(こおげちょう)があった。この町のご当地マンホールは「土師百井廃寺跡」である。他の自治体でよく採用されるのは、特産物やキャラクター、観光名所だが、ここでは史跡そのものがデザインされている。観光客が押し寄せるような場所には思えないが、どのような史跡なのか、さっそく訪ねてみよう。
鳥取県八頭郡八頭町土師百井(はじももい)に「土師百井廃寺跡」がある。国指定の史跡である。
塔跡の巨石は古くから知られ、昭和六年に「土師百井廃寺塔跡」として国の史跡指定を受けた。その後の発掘調査で伽藍配置が明らかとなり、現在の名称に変更された。軽微な変更に見えて、史跡としての価値は格段に増したのである。説明板を読んでみよう。
霊石山(れいせきざん)から南東に延びる丘陵上に立地する。以前から一辺16mの塔基壇が知られていたが、昭和53、54年の発掘調査で、金堂、講堂、回廊、中門等の中心伽藍が確認され、出土した瓦や土器の年代から、白鳳期(7世紀後半)創建で平安時代(9世紀)頃まで続いた寺院跡であることが判明した。講堂、中門をつなぐ回廊の内側に、東に塔、西に金堂を配す法起寺式の伽藍配置となっている。
確認できる遺構のうち、塔跡の中心に残る心礎、周囲に残る16個の柱の礎石は、寺院が建てられていた時の位置がそのまま残されている。また、螺髪(らほつ)と呼ばれる仏像の髪部品が3点見つかっており、その大きさから本尊として丈六仏(じょうろくぶつ、座像:高さ約2.4m)の存在がうかがえる。
地方における古代寺院の在り方を考える上で重要な寺院の一つとして国史跡となっている。
平成26年3月 鳥取県教育委員会
ここには慈住寺という大伽藍があったと伝えられ、塔は三重塔だったという。土師百井はかつて国中村の一部で、因幡国八上郡の中心部に近かった。廃寺跡からは広い国中平野を見渡すことができる。三重塔はこの地域のシンボルだったことだろう。安貴王との悲恋で知られる因幡八上采女(『万葉集』巻四534・535左注)を輩出した豪族によって建立されたのかもしれない。
現在この地域のシンボルとなっているのは模擬天守のある河原城だが、かつては慈住寺の三重塔がよく目立っていたに違いない。上を向いて歩く人が見た三重塔はいま、礎石と小さな石燈籠となって下水道の蓋に描かれ、下を向いて歩くマンホーラーに注目されている。
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