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穴があったら入りたい、という衝動に駆られることはしばしばあるが、その場に穴がない場合がほとんどだ。マンホールの蓋は開かないし、ラスコーやアルタミラは遠すぎるし、穴を見つけるのは意外に難しい。穴を探し求めて山中に踏み込んだら、なんとそこに横穴があった。
津山市油木北に「蛇谷(じゃだに)古墳」がある。市指定の史跡である。
標高230mの山中に単独で所在し、横穴式石室がある。写真は石室の奥壁部分である。『久米町史』の「蛇谷古墳」の項を読んでみよう。
封土は殆んど流失して石室丈けが残っている、現在の径は一一m、高さ二mである。巾二・一〇mの羨道はそのまゝの巾で玄室部になる無袖の石室であってその長さは七m、六世紀末から七世紀初にかけての時代(白鳳時代)のものと推定される。
文中の白鳳時代は、飛鳥時代の誤りだろう。古墳時代も終わりに近づく時代だ。石室に入ってみよう。
今は虫の住処になっているが、かつてここに地元有力者が葬られていた。石材を運ぶだけでも、かなりの労力が必要だろう。それにしても、なぜ奥深い場所に位置するのか。奥の院か奥津城か。地域を守護するとの意味合いがあるのか。
確かに穴に入ることができた。しかし、そこはお墓だ。墓穴に入らずんば安らぎを得ず。三界は安きこと無しなお火宅の如し。人生とはそういうものなのだろう。
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