フランシスコ教皇の来日で「法王」がすっかり過去のものとなった。以前は「教皇」こそ十字軍や叙任権闘争など、欲望と権力にまみれたような歴史用語だったが、今や平和の象徴であるかのように受けとめられている。
教皇は日本滞在中の演説で「核兵器廃絶」を強く訴え、「反原発」にも踏み込んだ発言をした。いっぽう持論である「死刑廃止」について言及することはなかった。我が国の世論に配慮したのかもしれない。
内閣府の世論調査によると「死刑もやむをえない」と考える人は8割以上だという。仇討ちを題材とした芝居が好まれ、恨みを晴らしてくれる必殺仕事人が人気を博すのも、日本の国民性に由来するのだろうか。
三原市宮浦二丁目の宮浦公園に「花井卓蔵先生像」がある。
と言っても、私と同じように浅学にして知らない人は多いだろう。副碑に事蹟が記されているので読んでみよう。
近代日本の先覚者花井卓蔵博士は明治元年御調郡三原町立原四郎右衛門氏の末子として生まれ貧困と孤独と闘いながら苦学力行して英吉利法律学校現中央大学に学んだ。若くして弁護士となり正義感が強くその雄弁は斯界にならぶ者がなかった。博士は法学者としてのみならず国会議員として大いに貢献し衆議院副議長に就任のち貴族院議員に勅選され功績極めて多く勲一等旭日大綬章を授けられた。今日博士の生誕百年にあたりその偉業をしのび永く功績を讃えるためこの胸像を建てる。
昭和四十五年三月吉日
花井卓蔵先生をたたえる会 会長 小松寿夫
中央大学辞達学会(弁論部)は花井卓蔵杯争奪全日本雄弁大会を開催しており、今年で59回を数える長い歴史を誇っている。明治31年(1898)から衆議院議員となり大正4年(1915)には同院副議長を務めた。貴族院議員となったのは大正11年(1922)である。政党は憲政本党や猶興会、又新会に所属したことがある。
近代法制の整備に尽力した政治家だが、今日注目したいのはその思想である。大正元年に上梓した『刑法俗論』(博文館、大正元)に、花井は次のように記している。
死刑は人の罪悪を懲さんと欲して、国家自ら罪悪を犯すものである。人が忿怒又は狂乱の瞬間に行へる犯罪を、国家は熟慮して行ふのである。而して国家が臣民の生命を奪ふは、個人の殺人行為より更に大なる非行である。個人は酩酊の弁疏を為し得べきも、国家は富且賢ならざるべからず。個人は悪性の為めに道義に背きたりと云ひ得べきも、国家は道義の外に立つべきものでない。個人の逢着すべき正当防衛は、国家には生じて来ない。国家は如何なる人に対するも、如何なる理由を以てするも、国家を組成する一員たる人の生命を奪ふの権利は有しない。
今日の死刑廃止論は、国際的潮流だから倣うべきだとか、誤判の可能性もあるからとか、残虐だからとか、抑止効果は疑わしいからとか、様々な根拠により主張されている。日弁連は死刑廃止を求める理由を3つ示している。すなわち「生命の尊重」「誤判・えん罪の危険性」「人は変わりうる」である。
花井の主張に近いのは「生命の尊重」だ。生命を奪う行為は許すべからざる犯罪であり、これを理性ある国家が行うべきではないというのだ。日弁連の言葉を借りれば「人権侵害」であり、花井は「罪悪」と表現している。説得力のある死刑廃止論である。さすがは弁舌に長けた代議士だ。
花井が死刑廃止を主張してから百年以上の時を経ている。今も凶悪事件が起きるたびに繰り返される犯人憎しの報道では、過去の行動の異常性が注目され、更生は不可能かのようなイメージがふりまかれている。自分に何の関係がなくとも義憤に駆られて、一発アウトを主張する向きも見られる。
このような状況だから死刑廃止の世論は当分高まりそうにないが、古くて新しい花井の主張に真剣に耳を傾け、今の制度でよいのかと不断の見直しを行う姿勢は大切にすべきではないだろうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。