湧き出る水を見た時の新鮮な感激は格別だ。生き物ではないのに生命の息吹を感じる。むかしの人々も同じように感じたことだろう。湧水に神仏が祀られている例はとても多く、伝説に彩られている場合がある。代表例は弘法大師による霊験である。
庄原市東城町戸宇の谷の奥に「弘法の一杯水」がある。突然流れが始まっているように見える。この湧水は戸宇川に流れ込み、東城川、成羽川を経て高梁川へと合流する。つまり高梁川水系の源流の一つである。
広島県道23号庄原東城線沿いに「一杯水弘法大師参道入口」という立看板がなければ行くこともなかっただろう。途中で道路が崩落している個所もあって、ずいぶん山道を歩いた印象がある。詳しい説明板があるので読んでみよう。
東城から帝釈を経て広島に至る旧広島街道に沿う名所のひとつである。むかしこの街道を往来する旅人は必ずここに立寄り旅の疲れを癒したという。もともと石灰岩の山肌から時間を限って湧出する間歇泉であったが昭和四十七年の水害いらい通常の湧泉となった。どんな炎天つづきでも涸れることがない。(三次保健所の水質検査の結果)水質非常に良くミネラル、カルシュームを多量に含み、弘法大師の伝説もあって「弘法の薬水」「弘法の一杯水」として古くからひろく知られ大師堂に参詣し持参の容器に一杯の水をいただいてかえる信者があとを絶たない。
<一杯水の伝説>
むかしむかし夏の日照りつづきに田畑の作物は枯死し飲水にもこと欠く年があった。そんなある日中国巡錫の旅の途中、帝釈から宇山野呂を経て戸宇にさしかかった弘法大師が農家の老婆に一杯の水を所望したところ信心深い老婆は生命にかかわるような貴重な水を竹筒にいっぱい入れて、こころよく差出した。あとで老婆から水飢饉の状態についてくわしく知らされた大師は「そんな苦しいなかによくぞ水を飲ましてくれた。何かお礼をしたいもんじゃが…そうじゃ水じゃ、水を出してあげよう」といって、老婆をつれすぐ上の谷に入り谷に向かって合掌し念じ終ると持っていた杖を「えいっ」と地面に突きたてた。すると不思議なことにぽっかりと穴があき水がこんこんと湧き出した。おかげで死を免れた付近の人々はお堂を建て大師を生仏としておまつりしたという。
近くの帝釈峡は石灰岩の奇岩で知られているが、ここから湧き出す水はカルシウムが多いミネラルウォーターである。水質の良さはみよし保健所のお墨付きだという。まさに命の水ではあるが、髪の毛を洗うとパサつくのかもしれない。
弘法大師と水の伝説はこのブログでも何度か紹介した。本日紹介の一杯水も、よくあるパターンの報恩譚である。それより珍しいのは、この湧水に間欠性があったことだ。惜しいことに昭和47年の水害以来失われたが、石灰岩中にたまった水がサイフォンの原理で流出していたようだ。
こうした間欠冷泉は他に国内に四か所(越前の時水、新見の潮滝、北九州の満干谷、球磨の息の水)しかないという。間欠性が失われた今ではただの湧水だが、水害がなかったら名勝に指定されたかもしれない。珍しい冷泉であるとともに、ありがたい霊泉なのである。
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