弘法井戸は以前にも紹介したことがある。全国に分布する伝説だから旅の途中で見かけることも多かろう。中には大師に親切にしなかったから涸れてしまったなどというのもあるが、今回は、立派な覆屋が作られ今も水を湛えた井戸の紹介である。
寝屋川市緑町に「田井の弘法井戸」がある。南前川の堤防下にあってややアクセスしにくい。
縦2m90cm、横約2mという大きな井戸だ。この井戸には次のような伝説がある。寝屋川市教育委員会『ねやがわ歴史探訪』から引用しよう。
昔、一人の旅に疲れたお坊さんが村に来ました。一杯の水を求められましたが、どの家からも『この村の水は、かなけがひどくて差し上げられる水はないんですよ』と申し訳なさそうに断られました。
お坊さんは『この村は飲み水に不自由してるんだなぁ』と村をふり返り、堤の下で杖を突き立てると、清らかな水が湧き出てきました。それから先、この井戸だけは涸れることなく清水が湧き出て、村人は飲み水に不自由しなくなりました。
このお坊さんが弘法大師だったというわけだ。旅人には親切にすべし、情けは人のためならずという報恩譚である。
寝屋川市内では打上、国松、田井、湯屋が谷の4つの弘法井戸が知られている。今回は国松にも立ち寄っているので、こちらも紹介しよう。
寝屋川市国松町に「国松の弘法井戸」がある。お地蔵様を祀って信仰の場としているらしく、よく手入れされていた。
この井戸は、江戸時代(享和元年・1801)の地誌『河内名所図会』で、次のように紹介されている。
三ツ井 郡村の東、三ツ井村にあり。一名井谷ノ井。又二ツ井は国松村にあり。一ツ井は高宮村にあり。
このうち「二ツ井」がこの井戸である。他の二つの井戸は現存しないそうだ。
今は蛇口のレバーを上げれば、あるいは手をかざすだけで水の出る時代だ。しかも、金気など雑味があるわけでなくいつも美味しい。時には、井戸の水質が生活を左右した時代のことを思い起こすのも大切なことだろう。
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