岡山駅前でテレビ局の取材クルーに声をかけられ、自分は著名人で言えば誰に似ていると思いますか、と尋ねられたことがある。かなり昔の話だ。これから出張だったので焦ったが、取り乱してはいけないと思い、冷静な笑顔で「佐野史郎です」と答えたことがある。その後、知り合いに「出てたね」と言われた記憶があるので、放映されたのだろう。以来、テレビで佐野史郎さんを見ると他人とは思えない親しみを感じている。
これも古いが、NHK教育テレビに「極める!」という番組があり、2010年7月は「佐野史郎のなぞの石学」というシリーズだった。佐野さんが出雲で勾玉を作ったり、三浦海岸で瑪瑙を探したりと、石にこだわった面白い番組だった。その3回目「巨石・王たちの暗号」では、古代吉備の王者が残した謎の石が紹介されていた。番組で佐野さんが訪れた場所はここだ。
倉敷市日畑と庄新町にまたがって「楯築遺跡」がある。国指定史跡でありJAPAN HERITAGE「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~の構成文化財でもある。
大きな立石に囲まれた特別な空間がある。楯築神社という小さな祠もあるのだが、ご神体は国重文(考古資料)として収蔵庫に収められている。佐野さんは特別に直接見せてもらっていたが、私は窓越しに拝見させていただいた。重要文化財としての名称は「旋帯文石/岡山県倉敷市矢部楯築遺跡出土」、日本遺産としての名称は「楯築神社の旋帯文石」である。
渦を巻きながら流れるような文様は独特で、単なるデザインとは思えない。番組では同じ文様の石が焼かれて粉々になって出土したことが紹介されていた。このことも何を意味するのか。立石はストーンサークルのようでもあり、なぞの石学の探究テーマは尽きることがない。説明板を読んでみよう。
弥生時代後期(2世紀末頃)に造られた墳丘墓。墳丘は、やや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部をもつ特異な形をしていますが、突出部の大部分は、昭和40年代に行われた住宅団地造成の際に破壊されました。消滅した突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では全国でも最大級の大きさを誇ります。
昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が中心となって発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかとなりました。
5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が確認されました。このうち中心主体となる埋葬は、円丘中央部に掘られた長さ9mの巨大な墓壙を伴い、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨(もっかんもっかく)構造であることがわかりました。木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていたほか、歯の小片2点も検出されました。また、棺の底には、総重量32kgを越える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていました。木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から、特殊器台や特殊壺といった供献土器をはじめ、人形土製品や土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫に納められている旋帯文石(国指定重要文化財)と同様の文様を持つ小形の石(弧帯文石)が、意図的に割られた状態で発見されており、このふたつの石の関係が注目されます。
南西突出部の調査では、その先端が給水塔のフェンスの下に残存していることが明らかとなり、平らな面を外側にして立てられた列石が良好な状態で検出されました。また、突出部の前面では、尾根を切断するように掘られた大溝も確認されており、墳丘墓の造営がかなり大規模なものであったことがわかります。
楯築遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷を考える上で重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されています。
倉敷市教育委員会
貴重な水銀朱が分厚く敷き詰められているというのも豪快だ。2世紀末では全国最大級の墳墓という。その後の前方後円墳の出現につながるのか、つながらないのか。この墓に眠る吉備の大首長とは、どのような人物なのか。
以前に岡山大学にいらした松木武彦先生は、被葬者は中国の歴史書に記録されている「倭国王帥升(すいしょう)」だと推測している。日本史上最初に登場する個人名である。どのように記録されているのか確認しよう。
安帝永初元年 倭国王帥升等献生口百六十人 願請見
西暦107年、倭国王帥升らが奴隷160人を献じ、拝謁を願い出た。情報量は少ないが、王を頂点とする階層社会が形成されていたことが推測できる。王の権威を巨大な墓とそこで行われる祭祀によって高める動きは、楯築墳丘墓で一つのピークに達した。築造年代を紀元150年前後と考えると、帥升の墓と考えても無理がないようだ。
ただし、糸島市にある井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡こそ帥升の墓だという主張もある。かつて伊都国が栄えた場所である。これはこれで説得力があるのだが、楯築遺跡の吉備国には西谷墳墓群(出雲市)の出雲国という力強い仲間がいる。両者のつながりは番組でも紹介されていた。さすがは出雲松江出身の佐野さん、すばらしいナビゲートをありがとうございました。
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