あれは高校2年生だったか、今や廃線になって久しい片上鉄道に一度だけ乗ったことがある。友達と三人で「月の輪古墳」に行ったのである。その頃から史跡めぐりを趣味としていたわけではなく、おそらく歴史のレポート作成のためだったように思う。
汽車に乗った。美作飯岡駅で降りた。月の輪収蔵庫を見せてもらった。そこまでは覚えているが、古墳に登ったのかさえ記憶にない。ここまで来たのだから登ったのだろう。なのに、飯岡を「ゆうか」と読むことだけは印象に残っている。
岡山県久米郡美咲町飯岡に同和鉱業片上鉄道の「美作飯岡駅」があった。平成3年(1991)に廃線となった。写真は終点の柳原駅方面に向かって撮影している。
上の写真では右側が駅舎のあったホームである。草に覆われてさっぱり見えないが、少しだけのぞく白線が往時を偲ばせる。駅舎の記憶がないので廃線前の画像や映像で確認すると、赤い三角屋根が印象的な駅舎であることが分かった。ホーム跡の向こうに現在大きな木があるが、当時はこれほど大きくなかったようだ。
この駅は地域にどのような役割を果たしていたのか。国立国会図書館デジタルコレクションで「片上鉄道」の検索を試みると、興味深い結果が得られた。昭和10年発行の岡山宣伝社『岡山の観光』である。
湯郷温泉
「鷺の湯」とも云ひ湯の起源は遠く太古なりと伝へられる。
呼吸器病、婦人病、皮膚病等に卓効あり。
勝田郡湯郷村
片上鉄道飯岡駅下車
乗合自動車の便あり。
月の輪古墳は昭和28年に民主的な機運の高まりのもと、研究者だけでなく学生や地元住民も多く参加し、考古学に基づく科学的な古代史が追究された。全国的にも有名になったので、その頃なら古墳の最寄駅として紹介されたかもしれない。
湯郷温泉の最寄駅ならJR姫新線の林野駅だろう。林野駅は昭和9年の開業、美作飯岡駅の開業は昭和6年だから、出版時には最寄駅として飯岡駅が定着していたのかもしれない。ただ、その期間もわずかであった。
温泉へ、古墳へと向かう人が降り立った駅。さあ、これからだ、と旅のワクワク感で胸を高鳴らせたことだろう。もちろん私もその一人であった。このたび40年ぶりに思い出の地を訪れたものの、駅の荒廃を見るにつけて自らの老いも感じざるを得なかった。美作飯岡駅跡は、永遠なんてないことの証左のように思える。
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