「世界最高峰の戦い」などと呼ばれるスポーツ大会は、山でもないのに「頂点に立つのは?」と山登りに譬えられる。確かにトーナメント表は山の形をしているから「最高峰」はイメージしやすい。
ところがこのたび「最低峰」もあることが分かった。草野球大会のことではなく、本物の最低峰である。これなら頂点に立つことができそうだ。登山開始!
赤穂市御崎に「唐船山(からせんやま)」がある。
「唐船山山頂(標高19M)」とあるから、登山が目的だと思い出した。標柱がなければ穏やかな瀬戸内海をカメラに収めるだけで満足して帰っただろう。ふもとの説明板には、次のように記されている。
所在地 兵庫県赤穂市御崎字唐船うつろ1985,1986
標高 19メートル 兵庫県の最低峰(平成17年4月設置現在)
伝説 昔、日本が唐の国と往来していた頃、唐船が赤穂の沖で嵐に遭い沈没し、その沈没船に千種川の土砂が堆積して次第に島となったという言い伝えから、「唐船島(からせんじま)」と呼ばれるようになったそうです。
その後その島は、長年の千種川の堆積により陸続きになり、この小高い山「唐船山(からせんやま)」となりました。
沈没船の上に出来た山なので、頂上で足踏みすると「ドンドン」と内部の空洞で反響すると言い伝えられています。
眺望 大変すばらしく、晴れた日は家島群島や小豆島を望むことができます。
ドンドンはやってみたが聞こえなかった。それでも、この眺望にこの伝説、この低さ。こんな面白い山に登ったのは大阪の天保山以来だ。
ところで「唐船」という地名は、意外にドライバーに知られている。国道2号の倉敷市玉島阿賀崎地内に唐船(とうせん)という大きな交差点がある。地名の由来はやはり、唐の船が沈んだことだという。倉敷文庫2森脇正之編『倉敷の民話・伝説』の石・岩の伝説には「唐船(玉島)」という項目があり、次のように記されている。
それは十一月三日の寒い暴風雨の日のことでした。この八重の潮路にさしかかった唐の国の船がありました。はるばる海を渡って、日本の国に着いたよろこびからか、折しものはげしい西北風をものともせずに、船を東へ、東へと進めていました。
(中略)
午後三時すぎに元浜水道にさしかかったのですが、思ったより潮流は早く、ともすれば南へ船は流されそうになります。柏島の北手に出ようとあせるのですが、どうしても船は進みません。
(中略)
とかくしているうちに日は暮れかけました。突然、船は暗礁に乗り上げ、自由を失なって、めりめりという音とともに沈んでしまい、船の人々はあっという間に船から投げ出されて、波に消えました。
遣唐使の時代、本当にこんなことがあったのか。それとも、後世の人々が想像力を逞しゅうして創作した民話なのか。「唐船山」も「唐船交差点」も穏やかな瀬戸内海が国際交通路だったことを伝える語り部である。
現在輸入相手国は断トツで中国である。今も中国からの船がたくさん、瀬戸内海を航行しているのだろう。その割には友好ムードは低調なままだ。コロナ禍で鎖国状態の現在であるが、開国後は大いに往来し相互理解を深めようではないか。
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