アラビア書道という世にも美しい芸術がある。イスラムの教えが偶像崇拝を禁じているから、文字デザインが発達したのだという。それは森のようでもあり都市のようでもあり、宇宙のようでもある。宗教においては、美しさとか感動という理屈ではない要素が果たす役割は大きい。
偶像崇拝が禁止される理由は、仏像に親しむ我々には理解しがたいところがあるが、神の存在を人に似せて表現したとたんに陳腐化してしまうからだろう。誰々に似ているな、などと思えたら信仰の対象にならないのだ。
仏教もお釈迦さま以来ヘレニズム文化に出会うまで偶像を崇拝することはなかったという。日蓮宗の髭題目もはどこかアラビア書道に似ている。とはいえ、日蓮宗が偶像崇拝を禁じているわけではない。文字ばかりの十界曼荼羅とともに祖師像にも手を合わせている。
岡山県和気郡和気町和気に「大題目岩」がある。
聖武天皇が造立した盧舎那仏がそうであったように、大きいことは崇敬に向かわせる要素である。こちらの髭題目だってそうだ。これを見て心動かされない日蓮宗信者はいないだろう。もっとも、この大題目岩を管理している本成寺は顕本法華宗である。建立までの経緯は説明板に詳しい。読んでみよう。
和気町指定文化財(平成二十八年九月二十八日指定)
大題目岩
施主 田中佐平治
揮毫 豊昌山本成寺第三十一世原田日勇上人
世話人 長谷川久造・恒次傳之祐・周藤俊徳・川口品造
土地寄進者 宇高榮次郎・宇高関太郎・宇高槇吉
高さ 十七メートル四十二センチ
横幅 四メートル九十一センチ
文字最深 四十五センチ
光明最長 四メートル五十五センチ
建立 大正三年(一九一四)三月二十日着工、十一月一日完成
大正四年(一九一五)四月二十八日落慶法要
石工 曽根 尾崎嘉三郎
緣起
大阪在住の田中佐平治という熱烈な法華信者の発願で、本和気本成寺の住職原田日勇上人の揮毫により、和気富士山麓のこの霊地に、日本一の大題目が完成しました。
開創百周年修復浄業
この「大題目岩」は開創後百年の歳月を経て、風雪にさらされた岩壁の一部が崩れつつあったため、檀信徒並びに有志の方々の寄進により全面修復が行われ、平成二十九年(二〇一七)六月二十四日に修復完成法要が営まれました。
顕本法華宗豊昌山本成寺の誇りであるとともに、和気町の歴史的文化遺産として大切に保護保存に努めたいと思います。
祭典行事
日蓮大聖人が安房国(千葉県)の清澄山旭が森で、昇る朝日に向かってお題目を唱えられ、法華経による新しい宗旨を開かれました。建長五年(一二五三)四月二十八日のことです。これを立教開宗といい、毎年この四月二十八日に大題目岩の前で「お題目まつり」として、本成寺檀信徒を中心に法要が行われています。
顕本法華宗 豊昌山本成寺
和気町教育委員会
なんと大題目として日本一の大きさだという。なぜここまで大きな題目を必要としたのか。大正時代には田中智学の国柱会に代表される日蓮主義が大きなうねりを起こしていた。顕本法華宗を興した本多日生師は「経巻相承」「直授日蓮」を唱え、法華経や日蓮の教えに直接学ぶよう訴えていた。
ルターの宗教改革運動は「聖書に帰れ」というスローガンのもと世界史に大きな足跡を残した。一般に、革新運動が求めるのは見たこともない新たなものではない。理想は過去にあるとする復古主義、原理主義の運動である。イスラム教におけるコーランに帰れという主張、共産主義運動が原始共産制という階級のない社会を理想視したのも、過去に学ぶ姿勢の現れだろう。
この大題目も同様だろう。ルターの改革には当時最先端の活版印刷技術が聖書の普及に大きな役割を果たしていた。「法華経に帰れ」という主張を、誰でも瞬時に理解できるように大書したのが大題目だったのである。
現代日本の行政においては菅首相の長男が許認可のキーマンになるなど前近代的な縁故主義がみられ、立法をつかさどる国会議員も家業のように世襲されている。私たちが帰るべきはどこなのか。古代ギリシアのペリクレスは「アテネでは政治に関心を持たない者は市民として意味を有しない者とされる」と演説したという。そう大書した看板を国会前に設置してはどうだろうか。
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