「もう、スサノオったら。ほんとにひどいわ。」怒ったアマテラスが天岩戸に引きこもると、世の中は真っ暗になってしまいました。「これはいかん。なんとかせんと。」困った神々は相談して、アマテラスを誘い出す作戦を立てました。岩戸の前で呑めや歌えやの大宴会。「いったい何?」気になったアマテラスが岩戸を少し開けると、「あなたより立派な神様がいらっしゃいます」との声とともに鏡が差し出されます。「誰なの?」からだを乗り出して鏡をのぞき込んだアマテラスは、自らの光に目がくらんで倒れそうになりました。「今じゃ!」岩戸は完全に開けられ、世の中は再び明るくなりました。
よく知られた天岩戸神話である。天上界である高天原での出来事であり、歴史上のいつどこでと具体的に考えることに意味があるのか。と思ったら、真剣に考えている研究者がいるという。太陽神アマテラスが隠れると暗くなり、現れると明るくなる。これを皆既日食と解釈するのはよく知られている。その皆既日食はいつだったかという研究テーマだ。
研究によれば候補として考えられるのは、紀元247年、158年、53年だそうだ。このうち247年は卑弥呼の日食として有力視されているという。ならば場所はどこか。さすがに天上界は無理だろうと思ったら、地上で見つかっているという。しかもいくつも。
比較的有名なのは高千穂の天岩戸神社、橿原の天岩戸神社だろうか。本日はそこまで有名ではないかもしれないが、文化財に指定されている天岩戸を紹介しよう。
真庭市蒜山西茅部に「天の岩戸」がある。市の名勝に指定されている。注連縄があるからそれと気付くことができた。
かなり山深い場所にあり、たどりついた時のありがたさは何物にも代えがたいが、先人はよく見つけたものだと感心する。平成17年発行の蒜山教育事務組合教育委員会・蒜山文化財保護委員会『蒜山の文化財』に詳しいことが記されているので読んでみよう。
川上村西茅部、岩倉山の中腹、水汲谷と呼ばれる場所にある天の岩戸と呼ばれる巨岩がある。岩戸と呼ばれる巨岩は、奥行き4m、幅2m、高さ4.5mほどの穴をあけている。また、巨岩の下側に大きな岩が落ちており、これが岩戸を塞いでいた扉岩であったといわれている。
この巨岩は、江戸時代以前より天の岩戸様と称し注連飾りをして祀っていたが、昭和初期佐竹淳如氏が蒜山地内に高天原があったという見解を示して以降、この岩戸に関連した“蒜山高天原伝説”の一大ブームが起きた。連日数百人の人々が訪れ、岩戸をデザインした岩戸センベイも飛ぶように売れたといわれている。
佐竹淳如氏とは旧制勝山中学の先生で、昭和3年の『神代遺蹟考』で蒜山高天原説を唱えたという。昭和9年には酒井勝軍『太古日本のピラミッド』が発行された。昭和初期は超古代史ブームだったのかもしれない。
考えてみれば『源氏物語』にも史跡があるくらいだから、神話の史跡があっても問題ないだろう。ただし、蒜山の天岩戸は急斜面に位置しているので、神々の大宴会はどこで開かれていたのか疑問が残る。まあ、そんなことはどうでもよくなるくらいの達成感があることは保障しよう。
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