岡山の路面電車に「中納言(ちゅうなごん)」という停留場がある。ホームがあるわけでなく路上に色付けされた枠があるだけのスリリングな電停だが、乗客も車も慣れたもので、お互いにきちんと安全に配慮している。
中納言という地名は、江戸期にこのあたりにあった焼餅屋が、大伴中納言家持(やかもち)をもじって「中納言の焼餅(やきもち)」と看板をあげて有名になったことによるという。今はきびだんごで有名な廣榮堂という和菓子屋さんがある。
さあ本日は、中納言から1ランク上の大納言のお話をしよう。
丹波市春日町東中(ひがしなか)に「大納言小豆発祥之地」と刻まれた石碑がある。
若い頃はあんこは砂糖の塊のようなイメージがして食べなかったが、近年は何よりもあんこが好きだ。しかも、粒あんに限る。鹿の子のように粒のまんまなら最高だ。こしあんは気が抜けたサイダーのようで、どうも損をした気がするから食べない。
粒あんにしろ赤飯にしろ、小豆の粒がしっかりしていると贅沢感が増すような気がする。そんな小豆好きにぴったりの逸品がこれだ。「大納言小豆」である。なぜ大納言なのか、副碑を読んでみよう。
大納言小豆の由来
宝永二年(一七〇五)当時の亀山藩主は領内東中に産する小豆は、他に比類のない優秀なものであると賞揚し、特に庄屋に命じて精選種を納めさせ、さらにその内より特選したものを江戸幕府に納めた。幕府はその幾分を京都御所に献じたが、これが小豆献納の起源となって、明治維新に至るまで継続することとなった。
京都御所においては、多くの特長を持ったこの小豆を賞味し、味も優れ、煮ても腹の割れないところから「大納言は殿中で刀を抜いても切腹しないですむ」ことになぞらえて、「大納言小豆」と名づけたと言われ、早くよりその名聲を称えられて来た。
「大納言は殿中で刀を抜いても切腹しないですむ」というのは本当だろうか。粒あんの幸せ気分を吹き飛ばすような物騒な由来だ。宝永二年当時の丹波亀山藩主は青山忠重、将軍は第五代綱吉であった。京都御所内で「大納言小豆」と命名した公家は誰だろうか。
中納言、大納言とくれば、少納言に言及せずにはいられない。少納言といえば清少納言。おかげで女性的なイメージが強い言葉になってしまったが、もともと男性の官職である。清原一族の誰かが少納言に任官していたはずだが、該当者がいないらしい。代名詞として使われる大中少の納言。このうち一番有名な少納言だけが由来不明とは意外だった。
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