その昔、津山海という海があったそうだ。那岐山や泉山を望む内陸部の津山盆地。日本海からも瀬戸内海からも遠く離れている。ここが海だったとは。実は動かぬ証拠が残っている。早速、現地に行ってみよう。
津山市市場に「塩手池の礫岩と化石」がある。市の天然記念物である。勝北町時代は単に「礫岩と化石」という名称だった。
金属の支柱には説明板があったようだが、すでに失われている。ネット上の画像を頼りに、内容を復元してみよう。
礫岩と化石
塩手池の地盤は、帯黒色の礫岩からなり、その岩層にはカキの貝殻が化石となって、はさまれている。これは地質時代の第三紀中新世(約二〇〇〇万年前)の地層であるといわれ、当時はこの地方一帯が津山盆地に接続して海中にあり、その海底にあった貝や砂礫が固結して、この水成岩になったものである。名づけて塩手礫岩という。
勝北町教育委員会
また、岡山県市町村振興協会編『岡山県文化財総覧』には、次のように解説されている。
塩手池の地盤上に幅五m、長さ一〇〇mにわたって帯黒色の礫岩層があり、カキの貝殻が表出している。地質時代の第三紀中新世のものと推定される。
「第三紀」は2008年に「古第三紀」と「新第三紀」に分けられたので、正確には「新第三紀中新世」となる。この時代に堆積した地層を「中新統」と呼ぶ。長野県南部から島根県浜田にかけては瀬戸内中新統と呼ばれる海成層が断続的に分布し、古瀬戸内海という海があったと想定されている。このうち津山盆地のあたりは「津山海」、その地層を「勝田層群」と呼んでいる。
塩手礫岩を観察すると、確かにカキの貝殻が含まれている。海の底で堆積し固結した岩なのだ。人類が誕生していない時代のカキは、いったい何者が食べていたのだろうか。間もなくカキの美味い時季がやってくる。瀬戸内のカキが古瀬戸内海時代の遺伝情報を受け継いでいると思えば、味わいもいっそう増すに違いない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。