各種乗り物には、それぞれコアなファンがいるが、層が厚いのは鉄道ファンだろう。このファンは撮り鉄だとか乗り鉄だとか、さまざまにカテゴライズされるが、廃線鉄というノスタルジー追求派もいる。その中でもマニアックなのが林鉄ファンだろう。
森林鉄道は木材を運び出すための鉄道で、昭和30年代までは全国各地にあったそうだ。私の住んでいる県にはないが、隣県に森林鉄道の機関車があるというので行ったみた。
鳥取県八頭郡智頭町郷原に「沖ノ山森林鉄道機関車」がある。
協三工業製のディーゼル機関車である。「協三工業」との陽刻が確認できる。小型機関車の製造を得意とするメーカーだ。どのように活躍したのか、説明板を読んでみよう。
沖ノ山森林鉄道
機関車について
この地より東に約二十キロ、沖ノ山から東山に至る広大な台地は、氷ノ山、後山、那岐山などと共に中国山地に属し、昔から杉や広葉樹のうっそうたる森林におおわれていた。
これらの国有林を開発するため大正十一年に軌道が敷設され、その後の増設で総延長十・八五キロにも達した。
初期は牛により牽引されたが昭和十七年に登場した機関車は子ども達の夢や地域の期待をのせ杉、橅、楢などの搬出に当たり、特に「沖ノ山杉」を世におくって名声を博した。
時の流れ(昭和三十八年代後半~四十年代前半)は軌道をトラック輸送に換え活躍した機関車も沖ノ山の山麓に置き去りにされる運命となった。
昭和五十八年五月数少ない森林鉄道機関車の保存をとの声に財産区の協力を得、公民館事業として、これを交通公園に持ち帰り人々の奉仕により補修を加え展示する運びとなった。
昭和五十八年十一月
山形一地区公民館
山形小学校
智頭町は地域通貨として「杉小判」を発行するくらい杉が有名である。昭和三十年代にモータリゼーションが進んでからはトラック輸送となったが、それまでは森林鉄道の機関車が全国各地の山中を駆け巡っていた。
森林鉄道は用途が限られているため一般には馴染みが薄いが、林野庁のホームページによれば、合計1,258路線8,971kmにも及ぶ路線があったという。本日紹介の機関車をよすがに、今一度、我が国が森林率が先進国第2位の森林大国であることを思い起こそうではないか。
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