「白髪三千丈」という表現がある。三千丈は9000m。髪の毛の長さとして、あり得ない。出典となった唐詩「秋浦歌其十五」でば、「愁いに縁(よ)りて箇(か)くの似(ごと)く長し」と続く。作者李白は、帝室の争いに巻き込まれた不遇の身を、少々ユーモアを交えて例えたのだ。今でも使えるキャッチーな表現は、李白の真骨頂である。
岡山市と玉野市の境にある常山の頂上近く、玉野市宇藤木に「底無井戸」がある。
山頂近くに井戸があるのは、山城があるからだ。常山城といい、三村氏と毛利氏、毛利氏と織田氏で争奪戦が繰り広げられた古戦場である。三村氏側の悲劇は以前の記事「戦国時代の国防女子」に詳しい。この井戸は籠城戦に欠かせない生命の源であった。説明板には、次のように記されている。
常山城の水の手であり、一度も涸れたことがないと伝えられる。
今も水を湛えている。水があるということは底もあるのだろう。なのに「底無」と言ったのは、水涸れがないから誰も底を見たことがないためだろう。見たことがないものは「無い」とされるのである。
常山の中腹、岡山市南区迫川と玉野市木目の境に「千人岩」がある。
特定の岩を指しているのではなく、地表に現れた岩石群を総称している。説明板には、次のように記されている。
常山合戦の時、城方の退路遮断のため兵千人を配置したと伝えられる。
常山合戦とは三村氏と毛利氏の争いで、城には三村方の上野氏が籠っていた。千人岩のある尾根は西方へと続き、確かに退路となりうる。毛利勢がここに兵を配置することで退路は遮断され、上野氏は滅亡に追い込まれたのだろう。
こちらの千人はおそらく誇張ではない。毛利氏の動員力ならありうるだろう。水涸れのない井戸と武装した千人が待ち構えた岩。上野氏にとって底無井戸は希望の光であったが、その光を遮ったのが千人岩であった。憂いはおそらく白髪三千丈以上であったろう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。