堀切なら猿掛城、連続堀切なら高屋城、土塁なら伊勢畑城、井戸なら金川城、畝状竪堀群なら篠向城、横堀なら淡相城、技巧的な構造なら黒山城。吉備に名城数あれど、竪堀ならこの城に並ぶものはなかろう。
岡山市北区建部町土師方(はじかた)に「土師方城跡」がある。上2枚の写真は東側の長大な竪堀、次は頂部の平坦地、下は北西の崖下にある井戸である。
城の南東は北側や西側に比べて緩傾斜であるため、竪堀で動きを制御しようと考えたのだろう。北側を通過する道を東へ進めば、備前北部の要衝周匝へと行くことができる。この堅固な城に拠ったのは誰であろうか。『吉備温故秘録』巻之三十七「城趾上」三「赤坂郡」には、次のように記されている。
古城山 土師方村の巽にあり。
山口与一兵衛居城と云伝ふ。
山口与一兵衛が仕えていたのは松田氏だろうか浦上氏だろうか。長大な竪堀と広大な主郭、水を今も湛える井戸。籠城戦に備えた造りのようだが、実際にはどうだったのか。遠い昔の物語である。尾根筋を登る途中でウグイスの鳴く音が聞こえてきた。
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