高く飛ぶ鳥が山を越え、向こうへ行ってしまった。この印象的な光景は、山を見るたびに思い起こされ、人々はその山を鳥越山と呼ぶようになった。全国に鳥越山はいくつあるのだろう。本日は美作南部の鳥越山に山城を訪ねたレポートをお届けする。
岡山県久米郡美咲町打穴上(うたのかみ)と打穴里(うたのさと)の境に「鳥越山城跡」がある。
標高296mだから、鳥なら山城を眼下にできるだろう。位置するのは打穴庄を貫通する県道70号と誕生寺から続く中国自然歩道が合流する地点である。古くからの要衝だったのだろう。
鳥越山は東方の筒ノ宮山から続く尾根の先端に位置する。広い主郭の手前を深い堀切で遮断し、敵の進入を防いでいる。ここに城を構えていたのは誰であろうか。『作陽誌』のうち西作誌中巻「久米郡北分山川部」打穴郷に、「鳥越山堡」として次のように記録されている。
鳥越山堡
在上打穴中村山高百丈余昔打穴肥後前司菅原家次者処此焉
打穴肥後前司菅原家次なる者がいたという。いったい誰か。打穴庄の近くに垪和(はが)郷がある。この地を拠点とした武士に垪和氏がおり、美作を代表する武士団菅家党の流れを汲んでいた。『太平記』巻第七「船上合戦事」には「美作国には菅家の一族、江見、芳賀(はが)、渋谷、南三郷」と記されている。打穴庄に垪和一族で肥後守であった家次という者がいて、本姓の菅原を名乗ったとしても不思議ではない。
美作菅家党から大名となる者は出なかったが、平成の代となり菅納氏の末裔が内閣総理大臣として位人臣を極めた。菅直人氏である。このことは後日レポートしようと思っている。
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