稲作の起源は諸説あって、日本史の謎の一つである。一説に、最古の証拠は朝寝鼻貝塚で見つかった6400年前のプラントオパールだ、という。これは縄文時代前期であり、この時代からご飯を食べていたなら縄文人のイメージがかなり変わるだろう。さっそく現場を訪ねてみよう。
岡山市北区津島東三丁目に「朝寝鼻貝塚」がある。バス停は「津島東3丁目」、坂を上がると岡山理科大学に行くことができる。発掘も同大学が行った。
「鼻」という地形は鼻のように出っ張った形状を指し、ここ朝寝鼻も半田山植物園山塊の南端に当たる。地図を見ると分かるが、ここは岡山平野の北端であり、貝塚の存在は海が迫っていたことを示す。
縄文海進は6000年前がピークで、その後、若干の海退と旭川の沖積作用により、岡山平野が形成されていった。貝層が見えるわけではないが、岡山の縄文時代を偲ぶ場所に相応しい。まさに「ここに陸終わり海始まる」の地であったのだ。説明板を読んでみよう。
朝寝鼻貝塚は、この看板の真下から南東にかけて広がっています。貝塚の存在は50年以上前から知られておりましたが、長い間体系的な調査は行われず、宅地造成土とコンクリート護岸に埋もれ、研究者でさえ正確な位置がわからなくなり、幻の貝塚と呼ばれていました。
加計学園・岡山理科大学では、専用道路計画地点に貝塚の端が重なっている可能性を予想し、開発に先だつ平成9(1997)年夏に発掘調査を実施しました。
その結果、現在の地表面より1m程下から貝塚を再発見し、貝層と上下に重なる地層から約4000年前の縄文時代後期初頭~前葉の土器群(中津式・福田KⅡ式)や石器、骨角器、動物の骨格など多量の遺物群を検出しました。
さらに深く発掘したところ、地表面より3~3.5m下の地層から旭川下流域で最も古い縄文土器群である約6000年前の土器群(羽島下層式)を検出し、さらに多量の石器、焼けた骨炭化物などの遺物群を検出しました。
一部の貝層と堆積層は発掘をせず保存をはかり、出土した資料は、岡山理科大学において、整理・分析を実施し、保管しております。
ここには最古とも6400年前ともプラントオパールとも記されていない。少量発見されただけなのでコンタミネーションの可能性が否定できず、籾圧痕や水田跡など、稲を栽培、常食していた証拠があるわけでもない。
私たちは最古と聞けばすぐに喰い付く傾向があるが、教訓にすべきは2000年に発覚した旧石器捏造事件である。古い地層から次々と石器が発見され、我が国の歴史はどんどん古くなっていた。新聞には「最古」の文字が踊り、最古最古サイコーと浮かれ気分だった。
朝寝鼻貝塚で約6000年前の地層から約50個のプラントオパールが発見されたのは1999年。稲作の歴史を1500年近くさかのぼらせたと話題になった。本当にそうなのか。近年の考古学会は検証を重視している。プラントオパール発見は事実なのだが、縄文稲作の最古例を見つけたいという私たちの願望によって、意義付けをしてはならないのである。
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