ほんのたまに、夢か現実か分からなくなることがある。だが、夢のような幸せが現実だったためしがない。先日も気分が高揚したところで、いきなり暗転したかと思うと、ひとり寝ている自分に気付いて、ずいぶん落胆したところだ。
狐に化かされた話を子どもの頃に母親から聞いた。野壺(のつぼ)にはまって「ええ湯じゃ」と言っていたおじさんなど、現実ともおとぎ話ともつかぬところが楽しかったものだ。今日は夢のようで現(うつつ)だという怪談である。台風12号が来ぬうちに、これだけはお届けしておきたい。
和歌山市鷹匠町五丁目に「原見坂」がある。右の上り坂がそうだが、「ベタ踏み坂」のような凄さはない。しかし、この坂は江戸後期の『紀伊国名所図会』にも登場する、由緒ある心霊スポットなのである。
話はこうだ。
江戸時代初めのこと、浅野の家臣、渋谷文治郎という若侍が原見坂付近で五輪塔を見つけた。心優しい文治郎は誰の墓であろうかと懇ろに死者の後世を弔った。数日後、再び原見坂を通りかかると、高貴な方の侍女らしき者が文を渡す。それは、さる屋敷の姫からのもので、4月16日の夜、必ずここへ来てほしい、と綴ってあった。当日の夜、文治郎は下僕とともに原見坂に向かうと、大きな屋敷に案内された。屋敷には美しい姫がおり、酒肴をもてなしてくれた。文治郎と姫が結ばれるのに時間はかからなかった。その後も通い続けた文治郎の行動は、不審に思った家人に見つかり、ついに外出禁止となった。それでも目を盗んで姫に逢いに行くと、姫は「見つかった以上、もう逢えませぬ」と告げる。続きは、日本の伝説39『紀州の伝説』(角川書店)で読んでみよう。
実は自分はこの世の者でなく、文明十二年(一四八〇)四月十六日に死んだ、畠山尾張守の娘、仙之前だと打ち明けた。姫の話によると、今の文治郎は、細川勝元の二男の生まれかわりで、前世では仙之前と婚約の仲だった。仙之前は婚礼を目前にひかえ、不意に病死している。
異界の者と情を交わした文治郎はどうなったであろうか。池の主が化身して人間と恋仲になり、二人で入水するという悲劇的な伝説がある。文治郎の場合は、家に帰って父に出来事を話したというから、何事もなかったようだ。その後、原見坂の五輪塔は畠山氏ゆかりの寺に改葬された。
仙之前の父という「畠山尾張守」とは、応仁の乱で細川勝元と東軍を組んだ畠山政長のことだ。紀伊国の守護として、従兄の義就と激しく家督を争った。「細川勝元の二男」は右衛門佐(うえもんのすけ)政行というそうだが、仙之前も政行も史実では確認できない。
文治郎が経験したのは何だったのか。すべてが真夏の夜に文治郎が見た夢だったのだろうか。それとも、狐に化かされ、美女だと思って木に抱きついていたのだろうか。いや、私にないだけで、本当に異界に行くという稀有な体験をしたというのか。
おそらく、この伝説は、畠山氏に関わる戦乱の犠牲者の鎮魂を、仙之前と政行という架空の人物に仮託して語り伝えたものであろう。少なくとも、文治郎はひどい目に遭っていないようなので、タチの悪いハニートラップでないことだけは確かだ。