ラー、ヘリオス、アマテラス。共通項は何だろうか。答えは太陽。あの圧倒的な輝き、暖かさに暑さ。神のイメージに最もふさわしいのは、どう考えても太陽そのものだろう。世界の多くの民族が太陽神を信仰している。本日は生命の根源、太陽の恵みに感謝しつつ、土石流災害から復興した神社を紹介することとしよう。
神戸市東灘区西岡本四丁目に「大日女尊神社(おおひるめのみことじんじゃ)」が鎮座する。
オオヒルメノミコトとはどのような神様なのか。由緒を記した説明板があるので読んでみよう。
御祭神 大日女尊(天照大神の別名)を主神とし素盞嗚命・若年神・大山祇神・金山彦神を合せ祀っています。
沿革 元禄五年(一六九二)の寺社帳に「大日堂」「古来より有り候え共建立年歴知れ申さず」と記され相当古い時代からあったもので、大日如来を本尊とする両部神道のお堂で住吉神社神宮寺の僧が大般若経を転読していました。
慶応四年の神仏分離令を受け明治三年大日女尊を祀る神社となりました。
境内には松の木がよく茂り「大日さんの森」と地元民に親しまれておりました。
昭和十三年の山津波により住吉川が決壊の為に大量の土砂が境内に流れ込み又戦災と合せ甚大な被害を蒙り昭和三十八年念願の再建により現在の社殿が完成しましたが昔日の面影を偲ぶものはありません。
祭例 九月二十八日
水神宮社
水車仲間の信仰厚き神であり、住吉水車事業の盛時を偲ぶものであります。
平成九年十二月吉日
大日女尊(オオヒルメノミコト)とは、天照大神(アマテラスオオミカミ)のことだった。『日本書紀』には天照大神について、三つの誕生神話が記載されている。岩波文庫版『日本書紀』巻第一「神代上」より
既にして伊弉諾尊、伊弉冉尊、共に諮りて曰く、吾れ已に大八洲国及び山川草木を生めり、何ぞ天下の主たる者を生まざらむやと、是に共に日神(ひのかみ)を生みます、大日孁貴と号す。〔大日孁貴、此をばオホヒルメノムチと云ふ。孁、音は力丁の反。一書に云く、天照大神(あまてらすおほみかみ)。一書に云く、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)。〕
一書に曰く、伊弉諾尊曰く、吾れ御寓之珍子(あめのしたしろしめすうづのみこ)を生まむとのたまひて、乃ち左の手を以て白銅鏡(ますみのかゞみ)を持(と)りたまふとき、則ち化(なり)出る神あり、これを大日孁尊と謂(まう)す、
(一書に曰く、)然して後、左の眼を洗ひたまふ。因て生る神の号(みな)を天照大神(あまてらすおほみかみ)とまうす。
『日本書紀』という正史でありながら、研究書のように注釈が多い。舎人親王の誠実な人柄を表しているかのように思えるが、どうなのだろう。アマテラスが様々に呼ばれていることが分かるが、本文には「大日孁貴(おほひるめのむち)」が採用されている。ということは、これが正式な神号であって、「天照大神」が別名ということになろう。
よく似た御名の仏様に「大日如来」がおわす。大日如来を信仰する真言宗の立場から日本の神々を解釈したのが両部神道で、これによると伊勢神宮内宮の天照大神は胎蔵界の大日如来である。大日女尊神社は神仏分離以前は両部神道のお堂であり、大般若経が唱えられていたという。
ということは、大日女尊=大日孁貴=天照大神=大日如来ということか。注目すべきは「日」と「天」。「天日」とは太陽のことである。やはり太陽神であったか。洋の東西、民族を問わず、太陽は崇拝の対象なのだろう。今季もずいぶんな長雨であった。たまに雲間から陽が射すと、それだけで有難みを感じる。人間に限らず、生きとし生けるものはみな、そう感じているかもしれない。