瀬戸内海の美しさは多島美にある。この日、天気はやや不安定で、晴れたり曇ったりしていた。写真では沖の方だけが照らされている。神はこういう一条の光とともに舞い降りるものだと高校生の頃に思ったことがある。そんな光を現国の先生は「太陽のまつ毛」と呼んでいたが、私にはしっくりこなかった。今日は瀬戸内の島にちなむ歌である。
たつの市御津町室津の沖に「唐荷島」と「君島」がある。どちらも古歌の歌枕になった島である。
「田子の浦ゆ」の富士の歌で有名な山部赤人は、唐荷島について次のように詠んでいる。『万葉集新解・中冊』(武田祐吉、山海堂、昭和21-23)で読んでみよう。
辛荷(からに)の島を過ぎし時、山部宿禰赤人の作れる歌一首 并に短歌
あぢさはふ 妹が目かれて 敷栲(しきたへ)の 枕も纏(ま)かず 櫻皮(かには)纏き 作れる舟に 真檝(まかぢ)貫(ぬ)き 吾が榜(こ)ぎ来れば 淡路の 野島(のじま)も過ぎ 印南都麻(いなみつま) 辛荷の島の 島の際(ま)ゆ 吾家(わぎへ)を見れば 青山の 其処(そこ)とも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり来(き)ぬ 漕(こ)ぎ廻(た)むる 浦のことごと 往き隠る 島の埼埼 隈(くま)も置かず 憶ひぞ吾が来る 旅の日(け)長み(巻六、九四二)
反歌三首
玉藻刈る 辛荷の島に 島廻(み)する 鵜にしもあれや 家念(も)はざらむ(巻六、九四三)
島隠(がく)り 吾が榜(こ)ぎ来れば 羨(とも)しかも 大和へ上る 真熊野(まくまの)の船(巻六、九四三)
風吹けば 浪か立たむと 伺候(さもらひ)に 都太(つた)の細江 浦隠(がく)り居り(巻六、九四三)
妻にも会わず、柔らかな枕もなしで、桜の皮を巻いて丈夫に作った船に櫓櫂を通して、私の船は進んできた。今、淡路の松帆崎を過ぎ、加古川も過ぎた。唐荷島の辺りから我が家のほうを見やれば、青い山が広がるばかりで、場所を特定することはできない。白い雲も千里に重なるかと見えている。漕ぎめぐる浦のことごとくに、行き過ぎていく島の崎のすべてに、私の思いは募るばかりなのだ。長い旅をしているものだから。
反歌
餌をとるため唐荷島をめぐる鵜であったなら、家を思うことなく過ごせるだろうに。
島に見え隠れしながら船を進めてくれば、なんとも羨ましいことよ。大和へ上っていく熊野の船ではないか。
風が吹いて波が荒くなるのではと様子をうかがって、飾磨の港で船を休めている。
山部赤人は瀬戸内海を西に向かっていたことが分かるが、どこに向かっていたのだろうか。田子の浦といい唐荷島といい、東に西に忙しいお方だ。それにしても、風景と心情とが織り成す何とも美しく切ない言葉の宇宙であることか。その創造力に魅せられる。
写真では右に写る君島も歌に詠まれた。読人不知である。先ほどと同じように『万葉集新解・下巻』(武田祐吉、山海堂、昭和14-15)で読んでみよう。
室の浦の 湍戸(せと)の埼なる 鳴島(なるしま)の 礒(いそ)越す浪に ぬれにけるかも(巻十二、三一六四)
室津のほら、あの向こうに波音が高い島があるよね。その波が磯を越えてきてびっくり。ビショビショになっちゃったんだ。あまりにもストレートな歌だから、勝手に修飾している。
技巧を駆使しようがストレートに詠もうが、万葉人が景観の美しさを教えてくれることがうれしい。言葉の解釈よりも、気持ちばかりを想像して現代語に置き換え楽しんでいる。瀬戸大橋なら渡ったことはあるが、瀬戸内海を東西方向に進んだことがない。海上からの眺めこそ、万葉の景色なのかもしれない。