デザインの権利を保護する意匠制度は、明治21年公布の意匠条例に始まる。意匠登録第1号は、須永由兵衛(すながよしべえ)のテキスタイルデザイン「雲井織」であった。今や自動車、建築物からペットボトル、お菓子に至るまで様々な工業デザインが保護され、登録番号は176万を超えている。
登録情報は特許情報プラットホームで検索できる。試みに「墓石」で検索すると、近年見かけるようになったスタイリッシュなお墓が多数ヒットした。ならばと思い、「前方後円墳」で検索すると墳形を模した付箋と積木が見つかった。
古墳には様々なデザインがある。あいつが円形なら、俺は方形にしよう。二つを組み合わせたら面白いかも。そんな自由な発想で墳形が考案されたのではないようだ。限られた人にしか許されなかった古墳のデザイン。何らかの権力関係があったのではないか。
岡山市東区宍甘(しじかい)に「宍甘山王山古墳」がある。写真は山王社がある後円部である。
墳長68.5mの前方後円墳で、史跡指定はなく説明板もない。それでもこの古墳が注目されるのは、前方部が撥型の最古形式の古墳であり、あの箸墓古墳の4分の1というスケールだからである。
ただし、埴輪の形式から判断すると、同地域北西に位置する湯迫車塚古墳のほうが古いそうだ。どちらも旭川東岸の旭東平野からの視認を意識している。よく分からないのは、山王山古墳が前方後円墳なのに対して、車塚古墳が前方後方墳であること。
これは好みの違いなのか、ライセンスの違いなのか。ライセンスだとすれば許諾者が異なるのか、ライセンスのランクが異なるのか。ランクが異なるとすれば、前方後円墳が上位なのか。
墳形の解釈は諸説あって、よく分からない。気分で選んだんじゃね?とも思うが、権力の象徴である以上、ライセンスの存在は十分考えられる。比較的早い時期の宍甘山王山古墳は、第何号の登録なのだろうか。