分からない時にはランキングが助かる。車をどこに売ろうかと思った時に「買取台数日本一」「やっぱりビッグが一番」というラジオCMを聞けば、そうなのかなと思うだろう。
「売れすぎて車が足りません」と勢いよく叫んでいたのに、あのCMも流れなくなってしまった。ランキングは一つの目安に過ぎない。それをどう解釈し、どう活用するのか、消費者の力量に委ねられている。
総社市三須に「作山(つくりやま)古墳」がある。写真は円錐台の後円部である。岡山県内ではランキング2位で、1位の造山古墳は「日本最大の古墳を歩く」で紹介した。
駐車場からすぐの遊歩道から墳丘に登ると、お釈迦さまの手のひらにいるようなもので、全体は見えてこない。前方後円墳だと知らなければ、ちょっとした丘である。説明板を読んでみよう。
国指定史跡
作山古墳
大正十年三月三日指定
つくり山と称されるほど、雄壮で巨大な前方後円墳です。
独立した小丘陵を削り、整形、加工したもので、一部に後世の改変をうけているものの、全長約二八ニメートル、後円部径一七四メートル、同高さ二四メートル、前方部長さ一一〇メートル、幅一七四メートルの規模をもっています。
三段に築成され、各段には密接して円筒埴輪がたち並び、斜面は角礫でおおっています。造出しは北側には存在しますが、対照的に南側にもあったかどうかは疑問です。
外周には周溝がなく、複数の残丘をのこすなど巨大な墳丘のわりには端整さを欠く面もあります。
作山古墳の規模は、全国的にみても第十位に相当し、県内では全長約三五〇メートルで全国第四位の岡山市新庄下・造山古墳につぐもので、古墳の規模が豪族権力の反映または象徴であることからすれば、本墳の被葬者が吉備に君臨した大首長であることが想像されます。
この古墳の築造は、発掘調査がおこなわれていないのであきらかではありませんが、墳丘の形態や円筒埴輪の研究から、五世紀中葉頃と考えられています。
昭和六一年三月 総社市教育委員会
全国第十位だというが、よく見ると「十」はシールであり、以前は「九」だった。同様に「二八二」も「二八五」にシールを貼っている。地面と古墳は一体だから、その境界を明確にするのは難しく、測定値が変化することはありうる。しかし、ランキングが下がるとは由々しき事態である。
試みに平成元年発行の『角川地名大辞典』33岡山県で調べると、「作山古墳」の項には全長286m、全国第9位とある。確かに9位の時代があったようだ。いったい、どこの古墳に抜かされたのだろうか。
どうやら作山古墳が第9位だったころ、藤井寺市の仲津山古墳が全長286mで同じく9位だったようだ。仲津山古墳の全長は現在290mに伸びて単独9位となり、作山古墳は短くなって10位となったようだ。
しかも仲津山古墳は仲姫命陵(なかつひめのみことりょう)古墳として、世界文化遺産の構成資産となっている。仲姫命は応神天皇の皇后で仁徳天皇の母である。そんな高貴なお方が墓の主であったとは。被葬者不明の作山古墳が勝てる相手ではなかった。
それでも作山古墳の好いところは、墳丘を散策できることだ。リーダーは庶民から慕われてなんぼの存在。286が285であれ282であれ、少々のことは関係ない。作山古墳の首長は寛容をもって知られる素晴らしいお方なのだ。
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