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喇叭手の故郷を訪ねて

国道313号を成羽に向かって走ると、対岸の中腹に「木口小平の生家」と示す看板が見えていたものだ。ああ、あの有名な兵士は、ここの生まれだったか。野山に遊んだ子ども時分には、やがて訪れる運命など想像すらできなかっただろう。

ところが近年、どうも看板が見当たらない。あまり探すとわき見運転で危ない。こうなったら行くしかないな。

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見つからないはずだ。看板は草に覆われていた。

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少し先に進むと顕彰碑、「壮烈木口小平之碑」と刻まれた石碑がある。ここは高梁市成羽町成羽(新山)だ。

小平の顕彰碑なら「「壮烈なる戦死」考」で紹介したことがある。それに比べるとずいぶん小ぶりな碑だが、副碑にはあの有名な教科書の一節が刻まれている。

昭和五年三月六日発行
文部省
尋常小学修身書巻一
モクロク十七 チュウギ
キグチコヘイハテキノタマニアタリマシタガシンデモ ラッパ ヲクチカラハナシマセンデシタ
明治二十七年七月二十九日戦死

そして主碑の裏面には、次のように刻まれている。

昭和六十年七月吉日
再建者
衆議院議員加藤六月
上新山講中

加藤六月はこの地域も選挙区としていた。六月の娘婿が石破内閣の財務大臣加藤勝信である。

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さらに少し先に進むと、「木口小平の墓」がある。

刻まれている文字は次の通り。判読しにくい箇所は西川宏『ラッパ手の最後-戦争の中の民衆-』(青木書店)を参考にした。

(正面)
恵證院釈貞林浄華居士
(右側面)
明治廿七年七月廿九日
旧六月廿七朝鮮
牙山之役戦歿ス
(左側面)
木口久太長男
陸軍歩兵貳等卒木口小平
年廿有三

小平は二等卒、後に二等兵と呼ばれる階級であった。墓碑の「等」は、カタカナの「ホ」に似た略字である。「牙山之役」は日清戦争最初の地上戦で、牙山に上陸した清軍を日本軍が撃退した。

ニュースによれば、ウクライナを攻撃するロシア軍に北朝鮮兵が合流したという。戦争の拡大が懸念されることもさることながら、遥か遠い異郷に動員された兵士が気の毒でならない。その死が英雄的行為として、戦意高揚に利用されなければよいのだが。


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