ランドマークとなるのは、遠くからでも視認できる高い建物である。人類史上最も長く世界最高峰だったのはクフ王のピラミッドである。紀元前の大昔から1311年にイングランドのLincoln Cathedralに抜かれるまで、大地から最も高くそびえた建造物であった。
真庭市上水田に「大雄山圓福寺々址」と刻まれた碑がある。脇に「従五位勲六等白神寿書」とあり、裏面に「維時昭和十三年五月建之」とある。
ここは「英賀(あが)廃寺」として市の史跡に指定されている。「大雄山圓福寺」という曹洞宗のお寺が西側の山裾にあるが、その前身は天台宗英賀寺で、奈良時代に国分尼寺として創建されたと伝承されている。説明板を読んでみよう。
英賀廃寺
英賀廃寺は、方一町(一〇八m四方)の寺域をもつと推定され、軒丸瓦一類の示す白鳳期に創建され、平安時代まで存在したと考えられる、英賀郡唯一の古代寺院です。
昭和五十五年の寺域確認調査で金堂は検出されなかったが、塔は一辺が五二尺(一五・六m)の乱石積基壇をもち、全国でも指折りの大きさを誇り、五重塔以上と推定され、法起寺式もしくは観世音寺式の伽藍配置が考えられます。
瓦は吉備地方独特の重弁蓮花文の内区の周囲に外向き重鋸歯文、連珠文、外向き重鋸歯文をめぐらせた華麗で、他の地方に類例を見ない独特の蓮花文で吉備式瓦と称されています。
真庭市教育委員会
英賀郡は近代には阿賀(あか)郡と表記され、ざっくり言えば現新見市の東半分と旧北房町に当たる。白鳳期にさかのぼる地域最古の古代寺院がここにあったのだ。近くに郡衙もあったと考えられ、中枢機能が集中していたことが分かる。
塔基壇は15.6mで、あの有名な薬師寺東塔の基壇は創建時に一辺13.3~13.4mだったというから、これを上回る大きさである。ちなみに薬師寺東塔は白鳳期唯一の建造物とされていたが、奈良時代の建立だと判明している。
基壇が大きければ中心に置かれる心礎も大きいはず。ところが、現地に心礎は見当たらない。行方を求めて『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告(38)小殿遺跡(英賀郡街推定地)英賀廃寺』を読むと、昭和13年に約2mの心礎が抜き取られ、長らく不明だったが、その後京都市内の民家で庭石になっていることが判明したという。
ここに層塔があった。五重塔以上というから、基壇の大きさに触発されて、ここは七重塔としておきたい。英賀郡最大のランドマーク出現である。現存する古い七重塔は一つもないそうだ。いったい、どのような光景だったのか。
英賀郡の領域を現代にあてはめランドマークを探したなら、新見の街中で見つかるだろう。新見はすっかり都市になったが、上水田にはかつて塔が映えた山と空がそのまま残っている。