岡山県から鳥取県へと峠を越えると、鳥取県側の急勾配に驚く。おそらく岡山県側から強大な圧力がかかり、大地が隆起したのであろう。岡山県最北端に位置する旧上齋原村あたりの地形図を見るとよく分かる。岡山県側に比べて鳥取県側のほうが、等高線の密度が断然濃い。
恩原高原は、穏やかな湖、白樺やカラマツ林などの木々が美しいリゾート地である。ここを通過する国道482号で県境の辰巳峠を越えると、いきなり急勾配が始まる。本日は急坂を下る前に、句碑を鑑賞しながら一服することにしよう。
因美国境の辰巳峠(鳥取市佐治町栃原、鏡野町上斎原)に「野村愛生先生句碑」と刻まれた標柱(昭和47年12月)がある。
静かな峠で、私はしばらくここにいたが、数台の車が通過しただけだった。句碑も夏草に埋もれんばかりである。何と刻まれているのだろう。
花栃や国境の道百折す 愛正
「野村愛生」先生は、鳥取県出身の小説家野村愛正(あいせい)のことである。本名は愛正(ちかまさ)という。昭和15年の『三国志物語』は児童書として評価が高い。牛耳という号で俳句もよくした。句の下に刻まれている碑文を読んでみよう。
昭和四十五年八月建立
去る昭和三十九年五月郷土の作家野村愛正先生のこの地に来遊ありしをとゞめむと
佐治村観光協会
昭和39年5月に八芳園社長の長谷敏司(はせとしつか)の案内で、野村はこの地を訪れた。長谷は今の佐治町古市出身で、身一つから事業を起こして成功した人物である。八芳園は新興財閥として名を成した久原房之助の邸宅跡を活用した料亭で、現在は結婚式場として知られる。
5月はトチノキの開花時期だから、つづら折りの峠道を上りながら見た白い房のような花が印象に残ったのだろう。「百折」が鳥取県側の峠道にふさわしい。碑が建てられたのは昭和45年のことである。
峠を越すとは、最も危険な状態を脱した際に使われる表現だ。コロナ第6波はピークアウトしたが高止まりだし、ウクライナ情勢はますます被害が拡大している。峠を越えたという安心感は分かるが、やはり自然の峠が一番気持ちよい。
2022.5.24追記
バイデン米大統領は昨日、岸田文雄首相と「八芳園」で夕食をともにした。メインは信州サーモンのムニエル、東京シャモの鉄板焼きだったとか。ちなみにお昼は「広島神石牛ヒレ肉のグリル グレービーソース 広島産野菜をそれぞれのテクスチャーで」。垂涎。