享保17年,西日本に甚大な被害をもたらした大飢饉が発生する。高松藩領の大内郡落合・松崎の両村でも連年の水害で困窮を極めていた。これを見かねた庄屋の池田彦七は,妻子と別れ単身で藩に年貢減免を直訴する。
東かがわ市落合に池田神社があり,その境内に「義民之碑」がある。大正6年に建立され,題字は旧高松藩主家の伯爵松平頼寿とのことだ。
碑が建てられた時に義民を顕彰する歌も作られた。その五番「此くて享保十八年 九月二十六日に 君は獄舎に苦しみつ 遂に空しくなりにけり 程なく貢は減ぜられ 苛税誅求跡をたち 里人此処に蘇生して 安堵の胸をぞなでにける 是こそ君の現霊の 死して救いししるしなれ」
碑には「殺身成仁 偉矣義民」(わがみをころしてにんをなす いなるかなぎみん)という一節も刻まれている。
土地の人々は,この祠を感謝の気持ちを込めて親しく「義民さん」と呼んでいるそうだ。
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