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2008/10/25

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井上 よしのり

令和の時代になり 世の写り変わりの激しい中にあって私の好きな源風景が今尚残っている事は 探求者としてかけがいがない場所でもあります 特に この 岡山県の県北部は 古代の高天原圏域でもあり また 南北朝時代では 後醍醐天皇の足跡が残る 唯一の場所でありますし また その後の 後南朝の秘史が 残る場所でもあります 私自身も後南朝 最後の 伝承者と 思っていますが 所どころでは 地元の方がよく知っておられたり また 大事な場所なのに 地元の方が その歴史を忘れられていたりと 確かに 興味と言う判断に置いて分けられる事が多いのですが 寂しい思いを残す事も 多々ありました この様な 墓であっても 名前 また 由来が 薄れきて 来る時代を愁う次第であります 時として時代の流れの中で 幾万の武士 もののふ が未来の世作りの為に命を賭けた事自体 強者共の夢の後 ではなく 跡なのです   と 言いたいのだが

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