現代の首都移転は一向に進む気配がないが,平安時代にも頓挫した遷都の動きがあった。
遷都騒動で有名なのは,治承四年(1180年)の平清盛の福原遷都。この時,手狭な場所ではなく摂津国昆陽野(伊丹市)か播磨国印南野(加古川市)にすべきでは,との意見もあったようだ。
また,さかのぼって仁和三年(887年)にも,摂津国猪名野が遷都の有力候補地になったと地元で伝えられている。猪名野は昆陽野とほぼ同じ場所だ。
伊丹市清水1丁目に「清水橋」というバス停がある。ここから北西に5分ほどの所に「金岡清水」という泉があったという。今は地名のみ伝わっている。
仁和年間に遷都論議が起こった時,朝廷は有名な絵師・巨勢金岡に命じて「猪名野」の絵を描かせた。この時,金岡が使った清水が「金岡清水」だという。
広い大地ときれいな水,陸路なら山陽道,水運なら猪名川。都にふさわしいこの場所は,17世紀になって酒の都として繁栄することとなる。
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