武蔵坊弁慶の生涯は,出生から義経との出会い,奥州への逃避行とその死に至るまで,聞く者みなが惹きこまれる物語で彩られている。しかし,実のところはほとんど中世の説話による伝説であり,事実を知ることは困難である。
姫路市夢前町玉田の北野神社に「弁慶の母の墓」と伝えられる石仏がある。「病気のときに墓石を削って飲むと霊験あらたかなり」という伝承からか,ずいぶんと丸くなっている。
義経に出会う以前,播磨の書写山に詣でた弁慶が,そこの修行僧に顔に落書をされたことから喧嘩となり,堂塔を悉く焼いてしまったという話が『義経記』に出てくる。
『弁慶物語』では,弁慶は母の胎内に3年もいたとされる。また,弁慶が義経に出会ったのは京都の北野天神だともいう。伝説に満ちた弁慶の史跡が,書写山からも近いこの北野神社にあっても,少しも不思議ではない。
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