西行法師は若かりし頃ある八幡社で修行し,後年再び訪れ,次の歌を詠んだという。
昔見し 松は老木に なりにけり
わが年経たる ほども知られて 『山家集』
本家争いはどこにでもあるものだ。この八幡社はどこなのか。前回の記事では倉敷市曽原の清田八幡神社を紹介した。しかし決定的な証拠があるわけではない。なにせ法師は「児島と申す所に八幡の斎はれ給ひたりけるに籠りたりけり」としか書いていないのだ。
岡山県の児島はかつて島だった。音は小島に通じるが決して小さな島ではない。児島の中に八幡社はいくつもある。
玉野市八浜町八浜の両児山公園に「昔見し…」の歌碑がある。
この山には八浜八幡宮が鎮座する。ここ八浜は高倉上皇が厳島行幸の際にお泊りになった場所である。法師が訪れても不思議ではない。
岡山市郡の八幡若宮神社にも「昔見し…」の歌碑がある。
郡はその名の通りかつて児島郡の中心であった。法師が訪れるもの自然だ。
この本家争いは決着がつかないだろう。もっとも争ってなどいないのだが。いずれにしても法師の事績を偲ぶよすがとなっていることは間違いない。
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