現代人でもこの世に生を受けた産院がどこか知らないこともあるくらいだから,秀吉の生誕地が二つ三つあっても不思議ではない。
名古屋市中村区中村町字木下屋敷の太閤山常泉寺(日蓮宗)には「豊太閤御誕地」の門柱が立つ。地名といい山号といい秀吉の生誕地にふさわしい。加藤清正が秀吉の菩提を弔うためこの寺を開いたという。清正は熱心な日蓮宗信者であった。
境内には「豊太閤産湯の井戸」がある。寺号もこの井戸から湧く清水に由来する。ここで秀吉は生を受けたのだ。
しかし,西隣の豊国神社そばにも秀吉の生誕地を示す石碑がある。産湯の井戸との距離は80メートルほど。一つのものなのか別のものなのか。これについて『見た聞いた考えた豊臣秀吉大研究』という地元の本によると,「あそこはただの竹やぶ。明治時代に県令が来て適当に定めた。」と由緒ある井戸をもつ常泉寺では相手にしていないそうだ。
このほか,秀吉の生誕地は中村公園ではなく,もっと南の中村中町にあった「弥助屋敷」だという説もある。みんな秀吉公が大好きなのだ。
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