地方各地にある古代の国衙跡に立つと,「国のまほろば」である大和の風景を想い起こす。遠くに見える山々に囲まれた起伏の緩やかな地形が,どこか共通しているように思える。水害等の被害の少ない安定した大地が好まれたのだろう。
南国市比江に「土佐国衙跡」がある。
この地は昭和三十一年九月までは長岡郡国府村の行政範囲だった。この辺りには「国庁」「府中」「内裏」という地名が伝わっている。北の低い山は比江山と呼ばれ,「比叡山」に由来するという。一帯はいにしえの世を偲ぶにふさわしい穏やかな風景だ。
写真の場所は「国庁」で田の中に碑が立つのみだが,この北方にある「内裏」は「紀貫之邸跡」として整備されている。『土佐日記』で名高い紀貫之は,延長八年から承平四年の4年間,土佐国司を務めた。
『土佐日記』に「みやこへとおもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり」とある。貫之は一緒に都から来ていた愛娘をこの地で亡くしていた。土佐のまほろばの地も貫之にとっては傷心の地でもあった。
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