秀吉は日本人にとって英雄の一人である。出世の階段を上り詰めたという人間的な魅力に加えて,太閤検地など近世社会の基礎を築いた人物として高く評価されている。しかし,朝鮮侵略(文禄・慶長の役)となると話は別だ。
京都市東山区正面通大和大路西入ル南側に「耳塚(鼻塚)」がある。
塚の上に建つ五輪の石塔は,寛永二年の古絵図にも描かれているという。長い間,大切に供養されてきた。ここは記憶に留めるべき戦争の史跡である。
朝鮮に出陣していた吉川広家は,秀吉が派遣した軍目付の早川長政から,慶長二年九月朔日付けの,次のような知らせを受け取った。「吉川家文書」
請取り申す鼻数のこと,合わせて四百八拾は,たしかに請取り申し候なり。恐々謹言。
朝鮮で戦った武将は,首級のかわりに耳や鼻をそいで塩漬にして持ち帰り,戦功の証明にした。しかし,これは日本の武威を誇示する記念碑ではない。犠牲者を弔う供養塔であり,日朝史においてメルクマールとなる存在である。
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