陰謀といえば,世界史では「バブーフの陰謀」,日本史では「鹿ケ谷の陰謀」である。どちらも,時の政権を倒そうとしたことが露顕し処刑された事件である。今日は日本を代表する(?)陰謀の史跡を紹介したい。
岡山市吉備津,吉備中山の山中に「大納言成親卿之墓」がある。
その手前には「高麗寺仁王門跡」が残る。後白河上皇に近侍していた藤原成親,僧西光,俊寛は,安元三年(1177)に京都の東山,鹿ケ谷で平家打倒の密議をこらす。しかし,密告により発覚し,成親は備前児島に配流となる。
児島での配流先は玉野市田井(田井八幡宮)とも倉敷市下津井田之浦(田土浦坐神社)とも言われるが,やがて吉備中山の有木の別所(高麗寺)に移される。成親はここで殺されることとなる。『平家物語』は,その有様を次のように描写している。
さるほどに、大納言入道殿をば、同八月十九日、備前・備中両国の堺、にはせの郷吉備の中山と云所にて、つゐにうしなひ奉る。其さひごの有さま、やうやうに聞えけり。酒に毒を入てすすめたりければ、かなはざりければ、岸の二丈ばかりありける下にひしをうへて、うへよりつきおとし奉れば、ひしにつらぬかてうせ給ひぬ。無下にうたてき事共也。ためしすくなうぞおぼえける。
成親の位牌は,近くの普賢院にあり,「鶴林院殿正二位大納言成親観蓮大居士」と刻まれているそうだ。
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