海に囲まれた日本では,津波は重大な災害の一つである。多くの場合,地震に伴って発生するが,本日紹介する津波は高潮により堤防が決壊したことによるものである。
倉敷市広江2丁目の丘の上に「千人塚」がある。
明治17年(1884年)8月25日夜半から翌26日未明にかけて,干拓地であるこの地方を台風が襲った。折からの満潮と重なったため高潮により堤防が決壊し,海水が広範囲にわたり干拓地に流入し,死者・行方不明655人,家屋流壊1227戸という,未曾有の大惨事となった。
あたりは眞黒です,何一つ見えません,唯流れて行くうちに途中でゆき合った同じ遭難の家から“助けてくれ…助けて”と云ふ弱りきった声を耳にしたかと思ふと,それもすぐ遠のいてしまふ位の早さで流れてゐました。『明治十七年暴風津浪乃惨劇』
今は水島のコンビナートが広がり,海岸線はかなり遠ざかった。しかし,この碑により私たちは自然の脅威を改めて知ることができる。
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