『南総里見八犬伝』は日本を代表する伝奇小説である。原文と現代語訳は繰り返し刊行され,歌舞伎からテレビドラマに至るまで,数多く演じられてきた。特に,30年以上前にNHK総合で放映された人形劇は,仁,義,礼,智,忠,信,孝,悌の八徳とともに八犬士の活躍を強く印象づけた。
倉吉市東町の大岳院に「里見家墓所」がある。
里見氏関係の史跡なら南総の地に多く残っているが,遥か離れた伯耆に墓所があるのはなぜだろうか。倉吉市の元帥酒造の銘酒に,八犬士ならぬ『八賢士』がある。その命名の由来が酒の外箱に書いてあるので,読んでみよう。
房州(千葉県)館山城主里見忠義は徳川幕府によって伯耆(鳥取県)倉吉に流され元和八年(1622年)二十九才の短い生涯をとじた。この時近臣八人殉死をとげ忠義とともに当地の大岳院に埋葬した。この八人の法名にすべて「賢」の字がついていることから彼らを八賢士と呼んでいた。一説に「南総里見八犬伝」の八犬士は彼らがモデルと云う。この大岳院に開創以来枯れることなく湧き出る御霊水を使って造られたこの銘酒を悲運の武将忠義と彼に殉じた忠臣八人にささげて名づけた。
ちなみに忠義の法名は「雲晴院殿心叟賢涼大居士」という。さわやかな青年らしいイメージがする。ゆかりを知って一献傾けると,なおさら美味である。