「青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉いならしめ、その夢を清らかしめよ。夢みることをやめたとき、その青春は終わるのである。」倉田百三『愛と認識との出発』の有名な一節である。
庄原市西本町1丁目に「倉田百三之墓」がある。
庄原に生まれた百三は,昭和18年2月12日に東京大森の自宅で亡くなった。享年52。墓は東京の多磨霊園にもある。大正時代に『出家とその弟子』で世に出て,『愛と認識との出発』は,人生について思索する青年の愛読書となったという。
多くの著作を残しているが病気療養も長かった。西田天香の一燈園(京都)に入っていたこともあった。精神の安定も求めていたのだろう。百三の「戚々西行水楽居士」の墓碑銘を揮毫しているのは,西田天香その人である。
庄原では毎年春になると多くの学校では「青春は短い,宝石の如くにしてそれを惜しめ」という百三のことばが卒業生に贈られてきました。校長は代わっても来る年も,来る年も,式辞にこのことばが現れるので,わたくしは,へそを曲げて,「青春は宝石くらいの価値しか無いのだろうか」などと考えたものです。
武田一雄『しょうばら―歴史と文学も町を歩く―』に紹介されていたエピソードである。確かに地元の若い人へのメッセージに,これほど相応しい言葉は他にないだろう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。