ロシアの皇太子が,訪日中に警護に当たっていた日本の巡査に襲われる。この衝撃的なテロ,大津事件は多くの人とその心を動かした。明治天皇の機敏な対応,死刑にせよと訴える政府高官,法に基づいて処理しようとする大審院長,動揺する国民,そして,事件とその影響を活写する作家。今日は吉村昭『ニコライ遭難』を手に事件ゆかりの地を訪ねよう。
伊賀市上野寺町の大超寺に「津田三蔵の墓」と「藤堂玄蕃代々の墓」がある。
伊賀上野の寺町は城下町の名残でお寺が多く,大超寺は津藩の重臣である藤堂玄蕃家の菩提寺だ。その境内の墓地にある玄蕃家の大きな墓とは対照的な小さな墓,これが津田三蔵の墓である。吉村昭『ニコライ遭難』の一節を読もう。
かれの先祖代々の墓所は,伊賀上野の寺町にある大超寺の墓地にある。並んだ墓の中に,あたかも幼児の墓のようなきわめて小さな墓石が立っている。
それが津田三蔵の墓で,遺族が世間をはばかってそのような奇異とも言える小さな墓石にしたのである。が,藤堂藩の藩医を父に持つかれに,寺の住職は,慈観堂本居士という家格にふさわしい戒名を贈った。墓石の下に遺髪と爪が埋められたかどうかは,さだかではない。
墓は見学施設ではない。お参りの方もいらっしゃる。それでもあえて津田三蔵の名を示すことで,大津事件の持つ歴史上の意義を問い続けているのである。
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