武者小路実篤との出会いはマッチ箱であった。デザインされていたのは「君は君 我は我也 されど仲良き」の詩画である。実に素朴で味わい深い。世にはマッチラベルの収集家がいるというが,その気持ちが分かる気がした。白樺派といえば理想主義的なイメージがあるが,実篤はその期待を裏切らない。
埼玉県入間郡毛呂山町葛貫に「新しき村」がある。
昭和14年に宮崎県にあった「新しき村」の一部が移転して始まった。今も実篤の理想がここで生きている。案内図は手描きで温かく,しかも分かりやすい。
近年では,農業を第六次産業(一次×二次×三次=六次)と考え,加工や販売も視野に入れ,食と農の距離を縮めようとする動きが見られる。昔は生産から販売・消費まで,当たり前のように一貫して行われていたことが,諸産業の成熟とともに分業化が進行した。
この「新しき村」では,当たり前のことが当たり前に行われている。実篤は次のように語っている。(実篤五十四歳「蝸牛独語」続牟礼随筆より=「新しき村の八十年」からの孫引き)
来たもの驚け,人間の生んだこの美しさ。
ここはただの平凡な村,だが人間の心の生きた村,生きた心にふれられる村。
人間の心の生きた,又人間の生活のある公園をつくりたいとも思う。
今まで消費にしか目が行かなかったが,もっと生産に思いを致さねばならない。マッチのラベルを鑑賞するのもよいが,マッチを擦る生活を大切にしなければならない。実篤の理想は空虚ではない。
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