箸墓古墳は卑弥呼の墓であるといわれ,近くの纏向遺跡は邪馬台国の首都であろう,という説が考古学的な成果とともに有力視されるようになった。その箸墓古墳を二分の一に縮小した古墳が吉備にある。
岡山市東区浦間に国指定史跡の「浦間茶臼山古墳」がある。
墳長約138mで三世紀末の築造という,古代吉備最古の大型前方後円墳である。三味線の撥のような初期古墳に特有の形をしており,その祖形である箸墓古墳との関係に関心が集まっている。写真は鞍部から後方部に向けて撮影したものである。
箸墓古墳は三世紀半ばの築造とされており,吉備から運ばれた特殊器台などが出土している。邪馬台国連合政権の成立には,吉備の首長も大きく寄与したに違いない。やがて権威を揺るがぬものにした邪馬台国は,墳形の認可によって各地の首長を統制していく。吉備の首長はこれまでの多大な功績によって,二分の一の相似形という破格の扱いを受けることができたのだろう。
浦間茶臼山古墳の周辺は田が多く,新幹線の高架が遠望できる。時折,ゴォーという低音がして列車が通過したことが分かる。吉備と畿内との人とモノの交流は,今も昔も変わることなく続いている。