神とは何か。哲学的で根元的な問いである。しかし,難しく考えることはない。風土記の舞台を訪ねてみよう。そこは人々が神と崇めた場所がある。現代の私たちも神を感じることができるのではないだろうか。
姫路市香寺町香呂字雨ヶ代に「香呂の西向き地蔵」がある。
地蔵の下部には「右 いゆわべ 左 しんまち」と刻まれている。江戸期のものらしい。「いゆわべ」とは現在の岩部を指す。この地はかつて「的部(いくはべ)の里」と呼ばれていた。いくはべ,いゆわべ,いわべと表記が変化したことが分かる文化財である。『播磨国風土記』を読んでみよう。
的部の里 石坐の神山 高野の社 土は中の中なり。右は、的部等、此の村に居りき。故、的部の里といふ。石坐の神山といふは、此の山、石を戴く。又、豊穂命の神在す。故、石坐の神山といふ。高野の社といふは、此の野、他野より高し。又、玉依比賣命在す。故、高野の社といふ。槐・杜生ふ。
姫路市香寺町須加院に「毘沙門堂」がある。
ここが風土記の言う「石坐(いはくら)の神山」である。苦しい思いをして急坂を登ったかいがあった。山が石を戴いている。これほどの巨岩はあまり目にすることがない。神の依り代に実に相応しい。
姫路市香寺町田野に「高野神社」がある。
他野(あだしの)より高いので「高野の社」と風土記は説明する。確かに田野の集落は丘の上にあるが,神社は集落より低い位置にある。何らかの事情で位置が逆転したものと推測されている。なにせ古記録に欠けており,風土記にありながら延喜式にもれ郷社,県社への指定も逃している。幻の古社であるが,ここにも神は御座すのだ。
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