地名の由来としてこれほど分かりやすいものはない。泉が湧くので「いずみ」。「いずみ」を二字の嘉名で表すよう律令政府から命じられたことにより,「泉」に「和」の雅字を付け加えて「和泉」となった。
和泉市府中町6丁目に「泉井上(いずみいのうえ)神社」がある。
拝殿の向こうには府指定史跡「和泉清水」があるらしい。仲哀天皇二年(200年)四月,神功皇后が行啓された時に,にわかに泉が出現し清らかな水が滾々と湧き出した。皇后はこれを瑞祥として喜ばれ,お宮としてお祀りになったということだ。ここは「和泉」国名発祥の地である。
また,この地には神功皇后の離宮「小竹宮(しののみや)」,元正,聖武天皇の離宮「和泉宮(珍努宮ちぬのみや)」があったとも伝えられている。地名の府中町からは和泉国府が置かれていたことも分かる。ここは和泉国の中枢部であった。
この神社の境内に「石造板状塔婆」がある。府指定有形文化財で,砂岩製の板碑で正平三年の年号が刻まれている。正平とは南朝の年号であり,これは南朝戦死者を弔ったもののようだ。
泉の湧いた聖地も,どこの都市にも見られるような市街地となっている。しかし,地名とその歴史とは末永く伝えられ,地域のアイデンティティを守っていくことだろう。
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