聖蹟といえば,首都圏の方なら聖蹟桜ヶ丘が思い浮かぶだろう。ここは明治天皇ゆかりの地だ。発展に次ぐ発展を遂げる日本を導いた明治大帝の足跡は,聖蹟と呼ばれるに相応しい。昭和天皇はどうか。昭和天皇の聖蹟を訪ねてみよう。
総社市窪木の長良山に石鎚神社があり,その社前に聖蹟「駐蹕(ちゅうひつ)之碑」が建立されている。
昭和5年11月16日にこの地で実施された陸軍特別大演習を,昭和天皇が御統監された場所だ。当時の人々にとっては畢生の大業であったに違いないが,今では知る人は少なく各種案内にも掲載されていない。
天皇は,山のふもとから愛馬吹雪に乗り,途中からは歩いて野外統監部まで進まれた。この時7時35分。『昭和五年十一月陸軍特別大演習並地方行幸岡山県記録』には次のように記されている。
この時 陛下には午前八時過ぐる頃より降り来る冷雨に 畏くも外套だに召し給はず,天幕の中より出御,錦旗の下,戦線間近く硝煙漲る中に厳然と立たせ給ひ,双眼鏡を御手に,戦況を御展望遊ばさる。
侍従武官より,幾度か外套を用ひさせ給ふやう言上せるにもかゝはらず「兵卒も濡れてゐるではないか」と仰せられ 畏くもしとゞ降りそゝぐ時雨の中を午前九時御愛馬吹雪に鞭打たせ給ひ,長良山の御野立所を御出発。
頂上広場の東屋の向こうに腰掛けるのにちょうどよいくらいの石がある。これは「昭和天皇の腰掛岩」だと広報そうじゃ2006年7月号で紹介されている。腰掛岩というのは古代か中世の貴人の伝説にはよく登場する。現代を生きた昭和天皇の伝説も,このようにして始まっていくのだろうか。
此千載一遇の光栄に浴したる本村は今後夫々の機関と協議して何等かの方法に依り,記念事業の施設を計画し,之を不朽に伝へたいと思ふので御座います。
このように地元の村長さんは語っている。聖蹟には石碑が建ち,村の栄光は不朽に伝えられるはずであった。しかし,後世の私達がその意義を伝えなければ忘れられるだけである。
近年は近代化遺産や戦争遺跡が文化財として保護の対象となっている。確かに近代化遺産は先進国日本の原点を象徴しているし,戦争遺跡は忘れてはならない苦い記憶である。それでは,昭和天皇の聖蹟は何だろうか。
陸軍特別大演習を大元帥陛下が統監したことは,現代の国のかたちとは直接つながらない。時代は戦争の深みに嵌っていく寸前だが,戦争を象徴する遺跡ではない。
巨大な石を使い丁寧に柵で囲んで大切にしている。本日紹介した聖蹟は,天皇を至高の存在と捉え崇め奉った時代の産物である。皇軍を率いる大元帥陛下を迎えた村の人々は,それを誇りに思い後世に伝えようとしたのだ。その心性が軍への批判を封じることにもつながっていく。
聖蹟はそうした時代を象徴しており,近代日本の精神史に位置付けるべき貴重な史跡といえるだろう。
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