天皇陛下が御出でになると聞けば沿道には大勢の人々が参集する。小旗を持ちケータイを構え親しみを込めて手を振って奉迎する。国民との距離が近い現代の皇室の姿である。戦前には想像もつかなかったことだろう。聖上陛下の神々しい御英姿には,臣民は恐懼感激して畏まるばかりであった。そして,我が村が行幸の光栄に浴したことを記念して巨大な石碑を建立した。本特集では,昭和天皇が陸軍特別大演習の統監を行った御野立所を2か所紹介することにしよう。
浅口市金光町八重の八重山に「八重御野立所趾碑」がある。
昭和天皇はここで東軍と西軍の実践さながらの演習を御覧になった。昭和5年11月15日午前10時23分から同11時42分までのことである。この地に立ったのは天皇だけではない。上原勇作元帥,犬養毅政友会総裁,財部彪海軍大将,鈴木貫太郎海軍大将,岸本鹿太郎陸軍大将とそうそうたる人物が居並んだ。『昭和五年十一月陸軍特別大演習並地方行幸岡山県記録』には次のように記されている。
…親しく御統監遊ばされた。この間 畏くも至尊には天幕にも入らせられず,御起立の儘であつたことは洵に恐懼の至りである。
昭和初期らしい巨大な石碑だが,今ではほとんど忘れ去られている。この演習の積み重ねが実戦につながり,あのような結果になった。それでも,これが日本人の足跡である。陛下の御会釈に恐懼した時代があったことを証明する記念碑だ。
陛下の歩いた道には,地元の方が行幸記念として「天路通無極」という碑を建てている。誰も歩いていないのだろう。山道に被さってきた藪に蜘蛛が巣をかけていた。
この八重山からは,美しいカーブを描いた山陽本線が見える。東京で走らなくなった103系電車が金光駅に到着しようとしている。聖上陛下も同じ鉄路で岡山・金光間を往復された。
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