天高く…の季節になった。天を仰ぐと自分の小ささに気付く。おそらくは帝であってもそうであったろう。天子である帝が天の子として天帝を祀ることは,とりわけ重要な祭祀である。その遺跡が中国では世界遺産となっている。
中華人民共和国北京市崇文区に「天壇」がある。天壇公園は広大で,ツアーで許された短時間では,とても見ることはできない。中でも写真の祈念殿がシンボル的建築物である。明の永楽帝によって原型が整備され,清代に至るまで代々の皇帝が天帝に五穀豊穣の祈りを捧げたという。紺の瑠璃瓦が鮮やかで印象深い。
枚方市片鉾本町に杉ヶ本神社があり,「片鉾郊祀壇跡伝承地」とされている。江戸期の『河内志』で紹介されている伝承だ。
ここは桓武天皇が長岡京遷都の翌年,延暦四年(785年)に,大事業をなしえたことを天神に感謝した場所で,郊祀壇という都の外で祭祀を行うための土壇が設けられていたという。つまり,中国の天壇の平安朝バージョンである。『続日本紀』の延暦四年十一月十日の項には次のように記されている。
祀天神於交野柏原。賽宿祷也。
なお,交野での祭祀は延暦六年(787年),斉衡三年(856年)にも行われたという。
枚方市楠葉丘2丁目に交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)があり,「桓武天皇先帝御追尊之地」とされている。
この神社の由緒書は次のように伝えている。
桓武天皇は,延暦6年(787),長岡京の南郊の地を選び,郊祀壇を設けて,父光仁天皇を天神として祀った。
続日本紀のいう「交野柏原」の場所はどちらなのか,正確には分からない。郊祀壇での祭祀は早くに途絶えたようだ。
紫禁城の外にある天壇で天に祈った中国皇帝,同じく郊祀壇で天神を祀った桓武帝,そして宮中で祭祀を行うようになった後世の天皇,さらには空を見上げてささやかな幸せを願う今の私。時空や身分を越えて同じ方向を向いているのかもしれない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。