万里の長城が本当に月から見えるかどうかは知らない。しかし,誇大広告であっても,そう思わせるだけのスケールはある。夏だったので遠くが霞んで見えなかった。どこまで続くのかと,現地案内をしてくれた方に聞いたが,困った顔をして説明できないと言われた。
北京市延慶県八達嶺鎮に「八達嶺長城」がある。日光を見ずして…の思いで長い距離をバスに揺られてやってきた。この日も多くの観光客が訪れていた。目にしたのは明代に造られた遺構で,ここは首都にも近く,長城の中でも早くから観光地化していた場所のようだ。
『人民中国』2002年5月号の李順然「わたしの北京50万年」第5話には,次のように記されている。
煉瓦といっても、万里の長城に使われている煉瓦には、一つが15キロから20キロという大きなものもあります。万里の長城のところどころで、こうした煉瓦に「登頂」記念の文字を刻んだ旅行者の落書きを見かけますが、木を植えていたころ地元のお年寄りから聞いた話では、落書きが彫られている煉瓦はほとんどが補修工事のときに使った新しいもので、明の時代の煉瓦は質がよく固いので、ちょっとやそっとの道具では落書きなどできないそうです。
確かに補修された煉瓦には傷が付けられていたが,元の煉瓦には痕がそれほど残っていなかった。深い山の尾根筋に造られた長城。煉瓦を運ぶ民衆の労苦は想像ができないほどだろう。また,その険しい山と長城を越えて侵入した騎馬民族にも脱帽である。
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